23日の月は俗に三夜様と呼ばれ、昔から各地で餅を供え、厄よけの祈願が行われていました。月読神社の祭礼である三夜様も毎年1月23日から25日までの3日間行われます。
月読神社の御祭神「三夜様」はつきよみのみこと月読尊(つきよみのみこと)で、古来から眼の神様として信仰を集めていました。神社の縁起には「柳河藩主立花家の姫君眼病に罹らせられ、代参者来たりて祈願をなすに三十七日にて眼病平癒したるによりて、立花候より御鏡の奉納ありし」とあります。先を読むということから開運の神や厄除けの神とされ、また潮の満ち引きがつきの引力により引き起こされることから安産、海上安全、大漁にも御利益があるとされています。 祭礼は参拝者がひきもきらず、参道には露天商と植木屋がずらりと並びます。月読神社が眼に霊験あらたかというところから、植木や苗木の「芽」もよくでるようにという願いがこめられています。 「眼がよくなりますように」と願いをこめて。月読神社の社宝として受け継がれているのは1枚の洗濯板。昔の人たちが早朝から日没まで働いて月明かりの下で洗濯したことから、尊い労働の象徴として奉られている。
筒井にある伯東寺は、もと禅宗に属するお寺で白い藤が咲く寺にちなんで「白藤寺」と呼んでいましたが、応仁の乱で寺の管理者であった細川伯孝公が戦死し、その子伯之が父の菩提を弔うために出家して聞信と改名し、この寺の開基となりました。
インドのガンジス川流域一帯で45年の説法教化の旅を続けた仏陀は、紀元前383年に80歳で亡くなりました。その釈迦の教えをまとめたものが「お経」です。そのお経を支えとして修行する人たちの生活規範であるきまりを「律」といい、その教えを組織づけ体系した理論のことを「論」と呼んでいます。そして、この経・律・論の三つを三蔵と呼んでいます。中国の孫悟空の物語「西遊記」にでてくる三蔵法師こと玄奘三蔵は17年もかけて中央アジアからインドに渡り、経典50箱、656部を中国へ持ち帰り、それを漢字に翻訳しました。それを 「一切経」と呼んでいます。日本では江戸時代に寛永年間の「天海版」と天和元年(1681)の「鉄眼版」の二種類が出版され、仏教の修行と研究の原典とされてきました。
伯東寺の輪蔵に納められている「鉄眼飯一切経」は享保14年(1729)に太宰府天満宮にあったもので、明治16年に伯東寺に移されたものです。一切経6959巻を納めた輪蔵の扉は内外金細工が施され、一辺が117cm、高さ3mの六角の輪蔵は9つの枠に仕切られ、経・律・論の一切経がぴっしりと納められています。
福岡県内に現存する4つの輪蔵の中でも最も入念な細工が施されている。
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