御井町歴史誌年表

時代

西   暦

 四〇〇  五二八
年   号

御井町と久留米のおもなできごと

〔先土器時代〕遺跡 高良山南谷遺跡、山川町の赤坂遺跡、野口・安国 寺遺跡、高良内のひょうたん山遺跡 〔縄文時代〕遺跡 鷲尾岳西遺跡、神道遺跡、横道遺跡 〔弥生時代〕遺跡 安国寺遺跡、赤坂遺跡、 旗崎二本木住居跡 〔古墳時代〕 祗園山古墳 礫山古墳 釜口古墳 ひょうたん山古墳 高良玉垂宮創建 筑紫君磐井、御井にて討たる
日本のおもなできごと

      この頃、日本列島に人      類があらわれ、日本列島      は大陸と地続きでなくな      る      縄文文化がおこる      弥生文化がおこる  二三九 邪馬台国女王卑弥呼が魏      より金印をうける 大和朝廷が日本の大部分      を統一  五九三 聖徳太子摂政となる  六〇七 遣隋使派遣
世界のおもなできごと

     大河流域に四大文明が栄      える。      万里の長城ができる  二二〇 後漢がほろび、三国時代      がはじまる  三一三 ローマ帝国が、キリスト      教を公認する  三七五 ゲルマン人の大移動がは      じまる        五二九 東ローマ帝国のユスチニ      アヌス大帝が「ローマ法      大全」をつくる 五八九 隋が中国を統一する 六一八 唐がはじまる
 六四五

 六七三




 七四一



 八一八


 八五六


 九四九











弘仁九年


斉衡  三
筑後国府設置
条里制
高良山に仏教入る
隆慶、高隆寺建立

〔奈良時代〕

国分寺建立の詔



高良神社玉垂命の神号を受く


高良玉垂名神の祝物部大継に笏を執ることを許す


高良山座主制始まる
 六四五 大化の改新




 七〇一 大宝律令制定
 七一〇 平城京が定められる
 七五九 鑑真、唐招提寺を建てる
 七九四 京都に遷都(平安京)
 八〇四 最澄、天台宗開く
 八〇五 空海、真言宗開く




 九〇一 菅原道真、大宰府に流さ
     れる



 六七六 新羅が朝鮮を統一する



 九〜一〇世紀 ノルマン人(バイキ
       ング)がヨーロッパ
       各地をあらしまわる


 八二九 イギリスにアングロ・サ
    クソン族の統一王国がで
    きる
 九〇〇 この頃、ビザンチン文化
    全盛
 九三六 高麗が朝鮮を統一する
 九六〇 中国に宋(北京)がおこる
 九六二 神聖ローマ帝国ができる

平

安

時

代


鎌 倉 時 代
  九七八
一〇〇四

一〇七三
一〇八五

一一六四
一一八六
一一八九

一一九二


一二〇〇
一二〇四


一二〇八






一二七四



一三三四

一三三六


貞元  三


延久  五
応徳  二

長寛  二
文治  二
文治  五

建久  三


正治  二
元久  元


承元  二






文永 十一



建武  元
建武  四
延元  一


大宮司家、国司と同待遇となる
東光寺建立

この頃、国府御井町朝妻の北に移る
高良山焼失

草野永経、筑後在国司押領使山本郡に入る
草野永平筑後国在国司となる
若宮八幡宮勧請・面積十二町

府中地頭厨氏・安養寺(厨寺)建立


大友能直、筑後国守護となる
油山の学頭、聖光上人弁長厨寺に入る。高良山僧
徒立ちのきをせまるもこれを退け鎮西派を確立
六七オ
草野永平、善導寺建立






元寇…神代良忠、神代に浮橋を掛け肥・薩軍を渡す
草野永綱、博多防塁構築


建武の新政
毘舎門岳城築城
菊地武敏、高良山に陣す
一色範氏、九州探題となる



一〇一六 藤原道長、摂政になる



一一六七 平清盛、太政大臣にな
     る


一一九二 頼朝、征夷大将軍となり、
     幕府を開く(鎌倉幕府)






一二二一 承久の乱
一二二四 親鸞が浄土真宗開く




一二七四 元寇(文永の役)

一二八一 元寇(弘安の役)
一三二三 鎌倉幕府滅びる


一三三六 南北朝時代

     十一世紀のはじめ、中国
     で羅針盤が発明され、火
     薬や木版印刷術が発達する


一〇九六 十字軍の遠征が始まる
     (〜一〇九九)
一一六三 パリのノートダム寺院
     (ゴシック建築)の建設
     がはじまる





一二〇六 チンギス・ハンがモンゴ
     ルを統一する
一二一五 イギリスに大憲章(マグ
     ナカルタ)ができる

一二六〇 (蒙古)フビライ即位
一二七一 モンゴルが国号を元と改
     め、都を現在の北京に置く
     マルコポーロ東方旅行に
     出発する(〜一二九五)


一三二一 ダンテ『神曲』を完成す
     る(一三〇四〜)






室



町



時



代


一三三八

一三四六

一三四八

一三五三
一三五九


一三六三


一三七五
一三七七
一四〇四

一四一八

一四三一

一五三九
一五四二







一五五五

一五五九

一五六九
一五七〇



正平  一

正平  三

正平  八
正平 十四


正平 十八


応安  八
天授  三
応永 十一

応永二十五

永享  三

天文  八
天文 十一







弘治  元

永禄  二

永禄 十三
元亀  一

菊池武重、高良山に大友氏時と戦う

一色範氏、高良山に陣し菊池と戦う

懐良親王、普門品を高良山に献納

懐良親王、高良山に陣す
菊池武光、高良山柳坂・水縄山に残し、
少弐頼尚・大友氏時と対す
三月石塔建立(高良山本坂下平木氏庭内)
大友氏筑後守護となる
大刀洗の激戦

高良山座主墓中最古の墓石建つ
懐良親王、下宮社に願文を納める
岩井の地蔵建立
横馬場の地蔵建立
「報恩寺々領坪付帳」(大善寺隈文書)中に
「久留目」の名が初めて出る
菊池兼朝、筑後の守護となる
(大内盛見・没の為)
御井寺、高良山中にある三尊板碑祀られる
八尋式部、吉見獄城を築く
永福寺 下弓削に建立






源正寺建立

大友義鎮、高良山を本陣として筑後を平定

大友氏の軍、吉見獄を本城とし龍造寺氏と対す
大友氏、高良山に陣し龍造寺氏に攻められ豊後に退く
イエズス会士・アルメイダ高良山に至る

一三三八 足利尊氏、室町幕府をひ
     らく








一三六三 応永の利生塔
     安国寺の建立始まる


一三九七 足利義満、金閣寺を建てる
一四〇四 足利義満、明と勘合貿易
     をはじめる



一四六五 応仁の乱







一五四三 ポルトガル人、種ヶ島に
     鉄砲を伝来す
一五四九 ザビエル、キリスト教を
     伝える

一三三八 イギリスとフランスの百
     年戦争がはじまる
     (〜一四五三)
一三四七〜五〇
     ヨーロッパに黒死病が流
     行する。(ペスト)
一三五〇ごろ
     ドイツで火薬が発明され
     る









一四四〇 グーテンベルグが活版印
     刷術を発明する
一四九二 コロンブスがアメリカを
     発見する
一四九八 バスコ・ダ・ガマがインド
     航路を発見する
一五一七 ルターがドイツで宗教改
     革を始める(九十五ヶ条)
一五四一 カルビンがスイスで宗教
     改革をはじめる
一五四三 コペルニクスが「地動説」
     を発表する

一五五八 エリザベス一世がイギリ
     ス女王になる
一五六四 スペインがフィリピンを
     占領する



安



土



桃



山



時



代
一五七三



一五七八



一五八〇



一五八五
一五八六

一五八七




一五九二

一五九四

一五九六
一六〇〇
一六〇一


一六〇二




天正  一



天正  六



天正  八



天正 十三






天正 十九
文禄  元

文禄  三

慶長  元
慶長  五
慶長  六


慶長  七





高良山座主・良寛、弟麟圭を篠原城主とする
(永正元年頃築造、篠山城の前身)


龍造寺隆信、高良山に陣す
麟圭座主となる
良寛(大友方)、麟圭(龍造寺方)兄弟の争いとなる

龍造寺氏、良寛を下す



高橋氏の香春岳落城
島津義久、高良山を攻め良寛・麟圭大祝保正・大
宮司孝直落ちのびる
豊臣秀吉、吉見獄に陣す
高良神領・一干石に減らさる 太閣検地、府中は
神領の地となる。(のち田中吉政、神領竿入れ、九
年再び竿入れ出目を生じたので出目村出来る)
これより後高良山座主無く荒廃す
朝鮮の役

毛利秀包・筑後国検地
高良山四十六代座主尊能に百石を与える
麟圭の子・秀虎丸四十六代座主に就任
宮崎の変によって権藤種茂、筑後府中に移る
田中吉政検地、高良山領半減。高良山目代職二代
御厨良運、高良明神の土地二十町を支配す。
永福寺、下弓削より府中に移る
権藤種茂、安藤省安の友・鄭一元に医を学び孫寿侃
医業を継ぐ



一五七三 織田信長、室町幕府を滅
     ぼす

一五七六 信長、安土城築く






一五八二 ローマに少年使節をおくる
     本能寺にて信長殺さる
一五八五 豊臣秀吉、関白となる






一五九〇 秀吉、全国統一
一五九二 秀吉、朝鮮に出兵(文禄
     の役)
     
一五九七 秀吉、再ぴ朝鮮出兵
     (慶長の役)
一六〇〇 関ヶ原の戦い














一五八一 オランダがスペインから
     独立する
一五八二 グレゴリオ暦(現在の太
     陽暦)がさだめられる




一五八八 スペインの無敵艦隊が、
     ドレーク率いるイギリス
     に敗れる






一六〇〇 イギリスの東インド会杜
     ができる


一六〇二 オランダの東インド会杜
     ができる








江



戸



時




代




一六〇四









一六二〇

一六二一
一六ニ六
一六ニ九


一六三七



一六三八





一六五〇
一六五一
一六五二
一六五四



慶長  九









元和  六

元和  七
寛永  三
寛永  六


寛永 十四



寛永 十五





慶安  三
慶安  四
承応  元
承応  三



筑後に一里塚を築く。坊ノ津街道に本郷(松崎)府
中、羽犬塚の筑後三宿設けられる








有馬豊氏、福知山より筑後に移る
中浦ジュリアン筑後に入る
四十八世座主家断絶
三月より八月まで旱魃飢饉
神代村隠れキリシタンの記録有り


徳川旗本青木紀伊守一矩、民部少輔兄弟島原の乱
後府中に住し後今村に移り医師として生活。今村
の青木家は安国寺、平田家は善導寺不断院の壇家
となる
筑間川を筑後川と改称





このころ山川村の花火「動乱蜂」始まる
高良山貸付銀始まる
広手参道大鳥居唆工 家光廟建立領中畝数改め
高良山に徳川氏代々の廟と石鳥居建てる

一六〇三 徳川家康、征夷大将軍に
     なり江戸幕府開く
一六〇四 幕府諸街道を修理し一里
     塚を築く




一六一二 キリスト教禁止令
一六一四 大阪冬の陣
一六一五 大阪夏の陣







一六三五 参勤交代制度定められる
一六三七 島原の乱




一六三九 鎖国完成
     (オランダ・中国・朝鮮
     のみ通商をゆるす)






一六五七 江戸明暦の大火
一六五七 徳川光圀『大日本史』編纂


一六〇四 フランスの東インド会杜
     ができる
一六〇七 新大陸アメリカに、植民
     地がひらかれる




一六一八 ドイツで三十年戦争がは
     じまる(〜一六四八)
一六二〇 イギリスの清教徒がメイ
     フラワー号にのってアメ
     リカに渡る


一六三三 ガリレオが宗教裁判にか
     けられる 






一六四二 イギリスで清教徒革命が
     はじまる(〜一六六〇)
一六四四 明がほろぴ、清が北京に
     入城し中国を支配する






一六六〇


一六六四

一六六九

一六七〇


一六七五


一六八一
一六八三


一六八四




一六九〇
一六九一
一六九二
一六九三
万治  三


寛文  四

寛文  九

寛文 一〇


延室  三
    四
    八
延宝  九
天和  三


貞享  一
    三



元禄  三
元禄  四
元禄  五
元禄  六
高良玉垂宮本殿建つ
今村切支丹の最初の史料『コーロス証言集』

切支丹禁制

高良山玉垂宮祭礼再興 一〇四年間廃絶

『寺社開基』成る
愛宕神社、隈山から礫山に移る
下宮社、高牟礼明神、朝妻七社再興

府中馬市。寂源高良山鐘銘
隈山の正源寺建立・高良山愛宕神社建立
太郎原村、切支丹の記録あり
高良山座主寂源「高良山十景」を選ぶ
高良山杉植林・高良山七谷番守を置く
         (川口家資料より)
高良山銀を久留米家臣へ貸付
宗門改め、踏絵始まる



高良山林法度を定める(木崎家文書)
下弓削切支丹の記録
府中山伏、千手院袈裟下となる
上弓削切支丹の記録
一六六〇 このころ、大阪に町人文
     化が栄える

















一六八七 生類憐れみの令が出る









一六六一 フランス王・ルイ十四世
     の親政がはじまる、
     (〜一七一五)















一六八七 ニュートンが万有引力の
     法則を発見する
一六八八 イギリスで名誉革命がお
     こる

一六九四

一六九六

一六九七




一六九九





一七〇九
一七一四
一七一五

一七一七
一七二〇



一七二八


元禄  七

元禄  九

元禄 一〇




元禄 十二





宝永  六
正徳  四
正徳  五

享保  二
享保  五



享保 十三
三月公儀より高良山玉垂宮に寄進
高良内切支丹の記録
俳人野坡、筑後に来る
太郎原切支丹の記録
領中郡村人高を改む。人口十三万七千一四三人。
男・八万十八人、女・五万七千一二五人。大庄屋
二十五人、庄屋四七四人、町庄屋二十一人、僧徒
社家六八五人、その他農馬一万九千四十、農牛二
千一二七頭
高橋村切支丹の記録





笠九郎兵衛・ガン爪発明
六月朝妻焼始まる
高良神社三年一祭の神事下命

十月玉垂宮神幸再興
六月二十二日大洪水、下弓削に被害、三日間水浸し
となり死者を出す


三月一日、上・下妻・三潴郡百姓騒動起る
八月十八日、農民一揆五千七百余人善導寺に集り
二十三日府中切通しに迫る。稲次因幡取り鎮める











一七〇二 赤穂浪士、討ち入リす






一七一六 徳川吉宗の享保の改革
        (〜一七四五)
一七二〇 キリスト教関係以外の漢
     訳書の輸入が許される















一七〇一 スベイン継承戦争がおこ
     る(フランス・スペイン
     対イギリス・オーストリ
     ア・オランダ
        〜一七一四まで)
一七〇九 ロシアがカムチャッカを
     占領する





一七二三 ロシアのピョートル大帝
     が都をペテルブルグにう
          つす
一七三二



一七四二

一七四五


一七五四




一七六七


一七七一
一七七二
一七七三
一七七四



一七八八

一七九〇
享保 十七



寛保  二

延享  二


宝暦  四




明和  四


明和  八
安永  一
安永  二
安永  三



天明  八

寛政  二
五月よリ大雨洪水、蝗異常発生、飢饉、翌年秋に
及ぶ領内の餓死者一万一千百九十八人。死馬四千
頭。

笠九郎兵衛、久留米近郊に初めて櫨を植える

古月和尚、福聚寺に入る


旗崎池出来る
三月十九・二十日、竹野・山本・三井.御原郡十万余
人の一揆起る 死刑三十七人。寺々より嘆願書を
提出、十月二十九日寺々閉門仰せつけられる

三月二十日府中大火、祇園社の手前まで上町残らず
焼失 家数百余、焼け出された者、替地を与えら
れる
大学稲荷建つ
高良山放生池・御手洗橋出釆る(木造)
府中和泉屋伝三郎大阪にからし三千俵を送る
琴平神社鎮祭



城崎方弘・高良神社に算額奉納

来国次の刀、高良山に寄進さる
一七三二 綿織物の生産が始まる
一七三三 米価が値上がりし、江戸
     にはじめて打ちこわしが
     おこる




一七五〇 このころより、寺小屋が
     発達










一七七四 杉田玄白『解体新書』を
     出す
一七八二 天明の大飢饉
一七八七 寛政の改革(松平定信)









一七四八 モンテスキュー
        『法の精神』




一七六二 ルソー『民約論』
一七六五 ワットが、蒸気機関を改
     良する

一七七〇 このころから、イギリス
     で産業革命がすすむ



一七七六 アメリカ十三州が独立を
     宣言する


一七八九 フランス革命がはじまる

一七九一
一七九二

一七九三




一七九四

一八〇二
一八〇三

一八〇五
一八〇六

一八○八

一八一二






一八一八
一八一九
寛政  三
寛政  四

寛政  五




寛政  六

享和  二
享和  三

文化  二
文化  三

文化  五

文化  九






文政  元
文政  二
坊地に蝉丸の塔建立
十二月二日、三潴大地震、津波。上妻よリニ・三
千人の人々高良山に登る
桃青霊社建立
六月二十七日、櫛原村浪人森嘉善宅にて高山彦久
郎割腹
不動庵薙月、俳句集『秋一夜桃集』を出す
高良山権僧正伝雄寄稿
三井郡より伊勢「抜け参り」始まる

自得、新清水の堂修理費寄進
高良山・御手洗橋石造りになる。(長さ五間巾一丈)

冬、永福寺焼失(七年正月より再建)
味清水御井神社再建

正月九日、大雪二尺五寸。樹木大損

十月伊能忠敬測量のため府中に来る
文化年間に寿泉苔〈国分のリ〉を発見す





十一月頼山陽来る(府中より球摩に向う)
作事方が府中町の駅屋、お茶屋、馬建、馬舎、
高札場を修築
高良山の触頭に大工、金次任命さる










一八○〇 伊能忠敬が、北海道を測
     量する





一八〇八 間宮林蔵が樺太を探検する
一八一〇 このころ、江戸に町人文
     化が栄える

















一八〇四 ナポレオンが皇帝となる


一八〇七 フルトンが蒸気船を発明




一八一四 ウィーン会議
        (〜一八一五)
     スチーブンソンが蒸気機
     関車を発明
一八一五 ワーテルローの戦い(ナ
     ポレオン敗れる)
一八二三


一八二五

一八二七

一八二八
一八二九

一八三一
一八三二

一八三四
一八三六

一八三七

一八三九


一八四二
一八四三


文政  六


文政  八

文政 一〇

文政 十一
文政 十二

天保  二
天保  三

天保  五
天保  七

天保  八

天保 一〇


天保 十三
天保 十四


トンコロリ流行
吉見獄・琴平神社建立
永世和平の碑建立
領内大暴風、倒壊あり(家屋一万一千六百九十九
戸、死者百二人)
権藤寿達、亀井南冥の門人となる
朝妻・清水番又市の名が見える
八月台風、高良山の杉桧三万本倒れる
宗崎の夫婦四国巡礼に出て帰らず

厨亮俊(後寺小屋を開く)生まれる
七月二十八日、浮羽郡亀王組の一揆、大庄屋竹下
仁助三郡追放
権藤加納、府中に私塾を開く
府中横町・宗崎などで疫病発生
矢取えびす建立
四月、府中千手院に御救米被下(八俵)

高良山本坂石段百三十段完成(在方寄進)


権藤延陵、華岡青洲に医を学ぶ
源正寺の寺小屋机製作(法種山大恵の銘有り、
天保末期入学者多く盛況)
この年、温石湯見つかる
一八二三 シーボルト長崎に来る










一八三二 天保の大飢饅
        (〜一八三七)



一八三七 大塩平八郎の乱
     此春、諸国飢饉・餓死者
     多数

一八四一 天保の改革(〜一八四三)





一八二三 アメリカがモンロー宣
     言をだす







一八三〇 フランスで、七月革命が
     おこる








一八四〇 中国でアヘン戦争がおこ
     る   (〜一八四二)
一八四四
一八四五

一八四六



一八四九

一八五三
一八五四


一八五五







一八五八






弘化  元
弘化  二

弘化  三



嘉永  二

嘉永  六
安政  元


安政  二







安政  五





府中の孝子、西村虎治表彰さる
豪潮、石仏を新清水に建立
一月・高良山玉替(金銀)の神事始まる
府中茶屋守笑八、高良山御仏殿番村井久蔵、町方
支配高田座頭(惣座頭二百十三人のうち)、牛馬元
〆役(改役)次吉、浪人権藤寿鉄の名、分限帳にみ
える
森(宮川)一、御井町に移り漢学塾を開く
後門人報恩の碑建立
和田一平(高良山お抱え儒者)北谷に開塾
高良山に藤崎常蔵生まる(明治二十年より、久留
米絣製造)
厨良秀生まる(自由民権運動家)
下宮社改築
十月五日朝、四時より府中町薩摩屋伊兵衛宅より
出火 下町祇園社脇まで焼け、上町は西側勾当ま
で東側馬駅旦隣萬屋万吉まで二軒焼留、七十軒
類焼。
府中・肥後屋の屋号見られる


七月上旬より「トンコロリ」と申す邪病長崎表よ
り流行、柳川下筋・若津・榎津・瀬の下処々、二
時ばかり相痛み人多く死す(領内死者二千二百余
人)全て海辺筋甚しく村々邪気追いなどことのほ
か騒動、尤も九月末に至り、漸く治る。高良内・
和泉でも死者を出す









一八五三 ペリー浦賀に来港
一八五四 幕府アメリカと和親条約
     を結ぶ(神奈川条約)









一八五八 井伊直弼大老となり修好
     通商条約を結ぶ
     安政の大獄








一八四八 フランスで二月革命
     ドイツで三月革命

一八五三 クリミア戦争
        (〜一八五六)







一八五六 アロー号事件
        (〜一八六〇)
一八五九
一八六〇




一八六二






一八六三


一八六四


一八六五

一八六六

一八六七


安政  六
万延  元




文久  二






文久  三


元治  元


慶応  元

慶応  二

慶応  三


十月二十四目、河井継之助府中通過
三月二十七日、参勤交替の為島津氏府中に到着
桜田門事件の早打ちありの報を聞き帰国
蝶の大軍北上す


三月二十五日、島津和泉府中通行・東上
烏羽・伏見の戦報により引き返す
六月十日、肥後藩兵三百五十人洪水によって府中
に止宿
七月二十九日、小倉戦争の死傷者府中通行
十一月七日、肥後勤皇家轟武平・府中に一宿、朝
妻で召し捕られる
鑓水にて大砲鋳造に着手。製造所は御井町風流田
(古飯田)大砲試射
柘植善吾、長崎英学塾に入学
田中久重、鑓水で銅の八十ポンド砲鋳造(慶応二年
の説もあり)
七月二十一日、真木和泉守天王山で自刃
十一月十七日、筑後川の砂鉄で磐井川鎔鉄所、製
鉄はじめる
朝妻方面にて藩少年隊の調練を行なう
府中「角屋」太平・娘百代の名見える
二月二十日、柘植善吾三ヵ年の期限で渡米
宗崎印鑰神社再建


一八六〇 井伊直弼暗殺さる
        (桜田門外の変)










一八六三 薩英戦争


一八六四 蛤御門の変






一八六七 王政復古



一八五九 ダーウィンが『種の起源』
         を発表
一八六〇 中国がイギリス・フラン
         スと北京条約を結ぶ
一八六一 アメリカで南北戦争が
         おこる(〜一八六五)
         ロシアで農奴解放令を
         公布








一八六四 万国赤十字社ができる






一八六七 マルクスが発表『資本論』
         を発表






明




治




時




代









一八六八



一八六九




一八七〇






一八七一










明治元



明治  二




明治  三






明治  四










厨亮俊・寺小屋を開く
五月二十三日、応変隊編成
八月十二日、藩主高良山に入る
神仏判別令
二月一日、山川招魂所開発布告
七月十八日、藩知事旧座主屋敷に居を定む
日比安太夫府中に移住
八月十日、永福寺応変隊の出張所に仰せつけらる
高良山御陣屋預り山内取締り方吉和太兵衛
八月、府中町庄屋末次嘉平博多行商往来手形発行
三月、府中駅廃止を民部省へ願書提出。招魂所で相
撲興行
府中の旅籠十六軒の事、庄屋嘉平が別当滴三郎へ
報告
府中、錦屋の屋号見える
府中次所諸出費銭支払帳
下宮鳥居建立
府中川口家大福帳
二月十三日、宮川氏宅にて大楽源太郎と小川真文
寺崎三矢吉・立石正介挙兵を密議
御井町戸長役場開設
三月十六日、大楽源太郎等を殺す
三月二十三日、巡察視高良山陣営に到着し大楽事
件を調査
高良玉垂宮・高良神社と改称。国幣中社となる。
八月、応変隊主謀者二十四名その他二百名逮捕、
十二月、断罪。廃藩置県で筑後国、久留米県と称す。
一八六八 五ヵ条の御誓文



一八六九 藩籍奉還
     天皇、東京にうつる
         (東京遷都)









一八七一 廃藩置県













一八六九 スエズ運河が開通する




一八七〇 プロシアとフランスの間
     に普仏戦争





一八七一 ドイツの統一
     (ビスマルク皇帝に即位)







一八七二
一八七三



一八七四





一八七五
一八七六



一八七七

一八七八
一八八〇



一八八三
一八八四


一八八五
明治  五
明治  六



明治  七





明治  八
明治  九



明治 一〇

明治 十一
明治 十三



明治 十六
明治 十七


明治 十八
高良山神習館(神道学校)を開く
愛宕山将軍地歳・永福寺に移り次に合川福聚寺に移る
二月、清水小学校開設
八月、山川茶臼山に御楯神社建立
同時に欽承隊の碑立つ
二月、佐賀の乱起こる
二月十八日、佐賀県令岩村高俊府中まで敗走
久留米城廃城
七月九日、台風による死者数百人、御井町四十軒
倒壊
木村三郎重任・高良山宮司大講義
宮川渉大楽事件により罰せらる
御井町制をしく
清水小学校を御井小学校と改称
八月、三潴県と小倉県、福岡県に合併
山川小学校・追分の民家で授業
西南の役・厨亮俊阿蘇に死す
三月、乃木希典少佐右足負傷して久留米病院に入院
七月二十二日、御井郡役所設置
日比翁助・慶応義塾大学入学
愛国社第四回全国大会、御井町厨幾太郎(千歳会)
出席
久留米絣千歳、緑藍組合設立
勤王家高良山神官として集まる
筑後川の改修工事始まる
末次四郎、長崎で貿易に従事
旗崎池・水神さん祀られる
木村重任墓石碑建立
一八七二 教育制度ができる。
     福沢諭吉『学問のすすめ』
     鉄道開通(新橋-横浜)
一八七二 キリスト教禁止令がとか
     れる
     地租改正令










一八七七 西南戦争
























一八七六 ベルが電話機を発明





一八七九 エジソンが、白熱電球を
     発明
一八八○ このころ、植民地の争奪
     がはげしくなる
一八八二 ドイツ・オーストリア・
     イタリアの三国同盟が
     成立する



一八八七
一八八八

一八八九

一八九〇



一八九五


一八九七



一八九八
一八九九

一九〇〇

一九〇二

一九〇三


一九〇四
明治 二十
明治二十一

明治二十二

明治二十三



明治二十八


明治 三十



明治三十一
明治三十二

明治三十三

明治三十五

明治三十六


明治三十七
八坂寺(大師堂)建立
御井町役場建つ(初代町長・厨良秀)
藤崎常蔵・織屋を始める
久留米市制施行
御井町郵便受取所開設
末次四郎朝鮮貿易開始
十月、小学校令制定
教育勅語発布

米国船リオデジャネイロ号金門島の暗礁で座礁、
日本人移住民に被害

三月 夏目漱石高良山に登る
四月、歩兵第四十八連隊福岡より国分へ
五月、久留米衛戍病院創設
厨彦次郎・幾太郎杉山払下げ
八月、勅令により各学校に学校医を嘱託
十月一日森鴎外、御井町森医院を訪れ
高良山に登る
六月、三本松町集産場の「とき鐘」を市役所
屋上に移す、
西国分の人で渡米後十三年間、金採掘に従事
した者あり
筑後馬車鉄道椛n立、吉井-久留米間県道上に
軌道敷設
御井校旌表旗を受く
日露戦争



一八八九 大日本帝国憲法発布
     東海道本線開通



一八九四 日清戦争












一九〇二 日英同盟(〜一九二二)




一九〇四 日露戦争









一八九五 マルコー二が無線電信を
     発明する


一八九七 第一回、近代オリンピック
     大会がアテネでひらかれる


一八九九 中国で義和団事件がおこ
     る(北清事変)
         (〜一九〇二)
一九〇一 ノーベル賞始まる

一九〇三 ライト兄弟の飛行機が完
     成する



一九〇五



一九〇六
一九〇七



一九〇八
一九〇九
一九一〇





一九一一
一九一三
一九一四



一九一五




明治三十八



明治三十九
明治 四十



明治四十一
明治四十二
明治四十三





大正  元
大正  二
大正  三



大正  四




十二月、久留米電燈会社創立
この年、馬車鉄道を日田まで延長
(馬鉄通り→電車通り→明治通りと
名が変っていく)
馬車鉄道を石油発動機車に変更
七月十五日、市内電燈点灯。当時の市内点燈二千
八百五十余軒
この月、筑後馬車鉄道は筑後軌道と改称
三井農学校創立
十月、工兵第十八大隊設置
久留米市内-国分間筑後軌道開通
御井校・高等科を併置、御井尋常高等小学校と改称。
十一月、県立中学明善校、山川村高良山腹に植林
三月、久大線開設の請願書提出
十一月、陸軍特別大演習
明治天皇・久留米に行幸、御井町にて大宴会
下宮社石垣をつくる(構口の石利用)
七月、明治天皇崩御、三十一日年号を大正と改む
七月、日吉町〜福島間三井電車開通
高良山参道に町標寄進(末次四郎)
十月九日、ドイツ俘虜久留米到着
十一月青島陥落、山川村磐井川の人戦死

五月、四十八連隊永福寺に洋式燭台一対、土香
炉等を奉納
六月九日、国分に俘虜収容所をまとめる。
総員一三一九人
十一月、高良神社国幣大社となる
一九〇五 ポーツマス講和条約が結ばれる










一九一〇 韓国の併合(〜一九四五)





一九一二 白瀬大尉南極大陸上陸
一九一三 桜島大爆発
     ドイツに宣戦布告
     第十八師団、青島攻撃
一九一四 第一次世界大戦に参加
     (〜一九一八)






一九〇五 アインシュタインが
     特殊相対性理論を発表
     ロシアで血の日曜日事件
     (第一革命)

一九〇七 ドイツに対する三国協商
     が成立(イギリス・フラ
     ンス・ロシア)







一九一一 中国に辛亥革命
一九一一 アムンゼンが、南極点に
     つく


一九一四 パナマ運河開通











大



正



時



代


  
一九一六

一九一七

一九一八


一九一九


一九二〇
一九二一

一九二二

一九二三

一九二四

一九二五

大正  五

大正  六

大正  七


大正  八


大正  九
大正  十

大正 十一

大正 十二

大正 十三

大正 十四


御井校に電灯設置
十月、日吉町-甘木間三井電車開通
筑肥銀行御井出張所開設

八月、米騒動
九月、、日本たび・つちやたび、日本製粉工場で
ドイツ人俘虜各五名傭役
筑後軌道、石油発動機関車を電車に変更、御井町
線開通
十二月三日、恵比須座でドイツ人の演芸会開く
御井町消防義会設立
四月、青年会を青年団と改称
八月、坂本繁二郎仏国留学
四月、私立南筑中学校開校(佐藤弥吉氏創立)
消防義会記念碑建立
四月郡制廃止
御井町農会設立
四月、福岡-久留米間急行電車開通
十一月、国分村・久留米市に合併
十月、御井町信用組合設立
十二月、大正天皇崩御・昭和と改元





一九一八 日本軍がシベリアヘ出兵










一九二三 関東大震災(九月一日)



一九二五 普通選挙法公布








一九一七 ロシアニ月革命・十月革
     命を経て、社会主義政権
     が生まれる

一九一九 パリ講和会議
     (ベルサイユ条約)


一九二〇 国際連盟の成立
一九二一 ワシントンで軍縮会議が
     はじまる。
一九二二 イタリアにファシスト
     内閣が成立




一九二五 このころよリ、世界平和
     が揺らぎ始める。













昭






和





時




代
一九二六

一九二七

一九二八



一九二九
一九三〇


一九三二
一九三三



一九三四
一九三五



一九三七


一九三九

一九四〇


一九四一


昭和  元

昭和   二

昭和  三



昭和  四
昭和  五


昭和  七
昭和  八



昭和  九
昭和  十



昭和 十二


昭和 十四

昭和 十五


昭和 十六


十二月三十日、正午報知の鐘紡支店の汽笛を讐察
署屋上サイレンに変更
一月十五日上水道水神祭
十一月十日浄水地起工式
十二月、久大西線開通、久留米-吉井間。それに
伴い筑後軌道電車廃止(御井町線なくなる)
広手警鐘台建設

十一月、浄水道・通水式を挙行
三月、浄水道事業完成
四月、御井小請堂奉安殿建造(永田正登氏寄贈)
御井町郵便局電話交換事務開始
高良神社参道自動車道路着工
礫山古墳発見される



十一月十五日、久大線全線開通
御井小校門寄贈(森光時次郎氏)
三月、御井小二階建校舎及び宿直室、使丁室新築
六月、御井小青年学校を附設

六月、久留米-柳川間久鉄(西鉄)電車開通
七月、支那事変
九月三十日、旭屋デパート開業
三月一日、御井授産所開設

高良神社参道自動車道路完成
清水溜池新設工事着工
十一月、紀元二千六百年記念祝典
四月十三日より二十三日まで高良大社一五五〇祭
御井校児童多数奉仕。
日吉神杜・篠山神社に御神幸大行列数町に及ぶ。
筑邦銀行御井町出張所と改称


一九二七 金融恐慌






一九三○ 経済の不況が一段と深刻
     になる
一九三一 満州事変
一九三二 五・一五事件
一九三三 日本、国際連盟脱退







一九三六 二・二六事件
一九三七 日中戦争起る




一九四〇 日独伊三国同盟締結


一九四一 太平洋戦争勃発
     関門トンネル開通
     久留米市水道を敷設








一九二九 世界恐慌がおこる
一九三〇 ロンドン軍縮会議



一九三三 ドイツでヒトラーが
     独裁権を得る
     ルーズベルト大統領が、
     ニューディール政策を
     はじめる



一九三六 スペイン内乱



一九三九 第二次世界大戦が
     はじまる(〜一九四五)






一九四二

一九四三






一九四四


一九四五





一九四六
一九四七






昭和 十七

昭和 十八






昭和 十九


昭和 二十





昭和二十一
昭和二十二






十月十五日、久留米市と御井町との
合併仮契約調印。
十月、久留米市に合併
御井国民学校と改称される
久留米市合併記念碑建設
久留米市役所御井出張所を役場跡に設置
新校舎四教室唆成
校舎建設。九二二・一三坪
御井町農業会発足
一月三十一日、高良山にて武運長久祈願祭
九月七日、ラモウ玉砕(ビルマ)
九月十四日、トウエツ玉砕(同)
二月、三笠宮妃殿下御視察
八月、久留米市内空襲される
十月、占領軍、久留米進駐



三月、青年学校廃止
三月給食開始。週三日温食のみ
五月、校地内の祠、袴着天満宮を出目の天満宮へ
合祠
六月、御井出張所・支所と改称
高良大社と改称
農林省園芸試験所九州支場を開設
御井町農業協同組合発足
一九四二 ミッドゥェー海戦で敗北







一九四四 学徒出陣、強制疎開を実施


一九四五 二月十九日、米軍硫責島上陸
     四月一日、沖縄上陸
     六月二十日、沖縄陥落
     八月六日、広島に原爆
     八月九日、長崎原爆
     八月十五、終戦
       ポツダム宣言を受け入
       れ、連合軍に降伏する

一九四六 日本国憲法発布
一九四七 学校教育法・基本法出さ
     れる  (六・三制)




一九四三 イタリアの降伏








一九四五 ヤルタ会談
     ドイツの降伏
     国際連合が成立する












一九四七

一九五〇

一九五一


一九五二


一九五三



一九五四



一九五五

一九五六




一九五七
一九五八
昭和二十二

昭和二十五

昭和二十六


昭和二十七


昭和二十八



昭和二十九



昭和 三十

昭和三十一




昭和三十二
昭和三十三
四月、御井幼稚園創立(永福寺)

二月、久留米医科大学を中心として久留米大学設立。
同大学商学部を御井町に開設、高等学校を附設
四月、山川.合川・上津荒木各村久留米市に合併
第六中学校(現良山中)南筑高内に移転
六月、高良内村も同じく合併
警察予備隊普通科学校(現陸上自衛隊幹候学校)
開校
御井小運動場拡張工事・東便所改築
門司-久留米間ディーゼル車運行
六月大洪水、被害者四万七八八五人
花火「動乱蜂」十六年ぶり復活
御井小放送設備完成
九州朝日放送(kbc)が旭屋でラジオ放送を開
始する
御井公民館開設
私立南筑高校が市立へ移管
御井小玄関横に小禽舎及び手洗、足洗場増設

石橋正二郎bs社長、文化センターを新設
御井小創立八十周年
校庭に図書館寄贈(石橋正二郎氏)
九州朝日放送本社、福岡へ移転
秩父宮妃殿下来校
プール完成(石橋正二郎氏寄贈)
宮ノ陣・山本両村久留米市に合併

一九四九 湯川秀樹ノーベル賞授賞


一九五一 日米安全保障条約締結
     ラジオ民間放送が始まる




一九五三 テレビ放送がはじまる



一九五四 第五福竜丸事件





一九五六 日本の国連加盟が認め
     らる






一九四九 北大西洋条約機構
     (nato)が成立する
一九五〇 朝鮮戦争がおこる
       (〜一九五三)









一九五四 周恩来とネルーが
     平和五原則をとなえる


一九五五 ワルシャワ条約機構が
     できる
     アジア.アフリカ会議
     開かる


一九五九
一九六〇


一九六一


一九六二
一九六三


一九六四


一九六五
一九六七

一九六九





一九七〇


一九七一
昭和三十四
昭和三十五


昭和三十六


昭和三十七
昭和三十八


昭和三十九


昭和 四十
昭和四十二

昭和四十四





昭和四十五


昭和四十六
久留米-八女間の国道三号線舗装完了
草野町・久留米市に合併
御井小給食室完成

久留米信愛女学院高校、開校
高良山自動車道路(高良大社まで)整備なる
久留米ー小郡(山口県)国鉄電化工事完成
良山中学校岩井川に一部新築移転
石橋正二郎氏文化ホールを寄贈


西鉄久留米自動車営業所開設


旗崎ニュータウンできる
筑邦町・善道寺町を市に合併

西鉄高架工事完成
祇園山古墳発掘調査始まる
高速道路・御井管内工事
市民会館落成
耳納スカイライン全面開通
御井小鉄筋三階建校舎新築
鳥類センターが三本松公園内から
中央公園に移転開園
久大線sl廃止
御井駅無人化
『ふるさと御井』第一集発行
一九五九 伊勢湾台風
一九六○ 日米安全保障条約が改定
     さる
     社会党・浅沼委員長刺殺
       される



一九六三 三井鉱炭じん爆発事故
     
一九六四 東海道新幹線開通
     第十八回オリンピック
     東京で開催

一九六六 「建国記念日」「敬老の日」
     「体育の日」の祝日が
      加えられる
一九六八 小笠原諸島・アメリカから
     返還される




一九七○ 日本万国博覧会(大阪)
     国産人工衛星「おおすみ」
     打ち上げ成功


一九六○ アフリカでコンゴなど
     十六ヵ国独立

一九六一 ソ連・人工衛星打ち上げ



一九六三 ケネディ大統領暗殺される




一九六五 アメリカ・北ベトナムを
     爆撃
一九六六 中国文化大革命


一九六九 アポロ十一号打ち上げ
     (人類初、月面着陸)


一九七二


一九七三


一九七四
一九七五

一九七六




一九七七

一九七八
一九八○
一九八三

一九八四
一九八五




昭和四十七


昭和四十八


昭和四十九
昭和 五十

昭和五十一




昭和五十二

昭和五十三
昭和五十五
昭和五十八

昭和五十九
昭和 六十



高良大社本殿・国の重要文化財に指定される


九州縦貫自動車道(鳥栖-南関四○.二キロ)
開通
『ふるさと御井』第二集発行
御井小講堂解体
御井小体育館完成
御井小創立百周年
御井公民館コミニュティ・サマースクール開設
御井校区世帯数  二、八九二
     人口  九、二八七
     男   四、五三○
     女   四、七五七
御井風流復活さる
『御井うもれ話』発行
御井校区ママさんバレーボール県大会優勝
御井小・米飯給食開始
御井小図書館解体(南校舎に図書館新設)
プール内塗装並にプールサイド土入れ拡張
百十周年記念友愛セール
御井小創立百十周年(遊具設置)
中野浩一・世界自転車競技大会にて九連覇
浄水場跡地整備
横道遺跡。第四次国府跡調査
一九七二 沖縄返還
     日中国交正常化
     水俣病
一九七三 オイルショック
     日中平和条約に調印


一九七五 新幹線博多まで開業
     沖縄海洋博開催









一九八二 東北新幹線開通


一九八五 科学万博開催
     日航ジャンボ機墜落事故
      (五二二名死亡)









一九七五 ベトナム戦争終わる

一九七六 毛沢東主席死亡







一九八○ イラン・イラク戦争勃発
一九八二 フォークランド紛争




一九八六 スペース・シャトル大事故


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