大伴部博麻之碑 篠山町  篠山神社境内

これにも碑文がなく、建立年月だけが刻まれている。博麻は上妻郡(今の八女郡)の北川内出身といわれ、斉明天皇のとき、朝鮮の白村江で唐・新羅の連合軍と日本軍が戦った折に捕虜となった。彼は同じ境遇の仲間四人を日本に帰すために身を売って奴隷となり、彼の地に三十年間居残って持統天皇のとき帰国した。このため朝廷では彼の功労を厚く賞し、米・布・水田を贈った。

北川内の伊勢社境内にはそのの墓と称するものがあり、文久三年二月(1863)、同社々司小川好仁は矢野一貞.船曳鉄門などと謀って「大伴部博麻碑」をその傍に建立し、年々藩主から祭祀料を下付されたといわれる(稲次成令ー郷土史家ー覚書)、このとき武田厳雄が詠じたと思われるつぎの歌がある。
  皇国辺を思ふこころは梓弓もとすえつひにかわらざりけり

大伴部博麻(シニアネット久留米・筑後川矢部川流域歴史探訪)上陽町より