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    女の交際
   
  うちへんなお正月は、男だけはお正月のうち、ご年始に行ったり来たりしよったばってん、 女は春暖うなってからじゃった。

  三月頃ご年始ち云うて、親類にでんどこにでん、行ったり来たりする時ゃ、お土産もってお 供人がついて来たりゃするばってん、お互わりあい簡単に大ごつなしでしよったばってん、山 本との行き来は、大ごつしよった。ひいばばさん頃からのしきたりの名残じゃっつろ。

  先づ、山本から「今日ゃ奥様方んご年始にお入りますけん」ち云うて、朝早う男の、お魚、 お年玉、おみやげ、お召替えのお召物、てんば、長めごに入れて荷なうて来るけん、こっちゃ、 「そーら今日はお入るげなばい」ち云うて買物の品々ば帳面につけて、通八丁目あたり、めご 荷なわせて買物にやりよった。女達ちゃお座敷の方てんのお掃除ば念入れてしたりしよるうち、 男達が買物してくるとじゃった。

  買物の帰って来っと、煮るやら炊くやら、大ごつしょった。そのおごちそで、一番印象に残っ とっとは、生麩の錦麩ち云うとじゃったたい。麩屋に桶に水に漬けて出してありょった。色の美 しうして。あたしゃ子供ん時からほんに麩ば好いとったけんじゃろの。蒲鉾、にーじんの線切り、 結び昆布ち云うとが、ちょいと三種盛りち云うとこじゃった。ごぼう、れんこん、お魚、そりか ら玉子の半べん巻どんもありょった。

  そうこうして、おごちそも出けた時分、お昼前頃、お客さんの、何台でん人力車に乗ってお着 きなりょったたい。おのぶばばさん、お節さん、お安さん方大人組と、お嬢さん、坊っちやん、 五、六人の子供組と、お供の女達に男達、多人散じゃった。

  お客さんな、みんなご絞付でおいでになるばってん、ご年始のご挨拶のすんで、お膳の済むと、 ただのよそゆきのお召物のお荷物のなかに来とるけん、それお召換えになって、お帰りんときも そのお召物でお帰(け)りょった。

  子供組ゃすぐ藪ん中さん連(ん)のうて行って、遊びょった。街からじゃけん、藪ん中が珍ら しかもん。椿てん、よめよめさんてん小笹のあったり木のあったりで、喜うでどんどん遊びよん なさった。家ん中に入っと、江戸絵の入っとる大っか箱どん出して来て、子供達みんなで見よった。 初手の江戸絵じゃけん、毎年同じ物ばってん、よう飽きもせんでみんなで見よったたい。

  お帰りゃいつでん夜になりょった。よめよめさんの人形のお土産どんがお供して、ゆっくりし た事じゃった。

  こっちから行く時もそげなふうで、朝早う男にいろいろ入れた長めご荷なわせて、今日上りますけ んち知らせて、あとから行きょったたい。人力車に乗って、ばばさん、おっ母さん、あたし、おもと におなご、おとこ連んのうて。行きゃ、向うでもまた毎年同じ江戸絵の箱の出て来るもん、そりばま た、飽きもせんで見るし……。

  お正月ほど仰山じゃなかばってん、かねてもそう云う風で両方から行き来しょった。初手は山本に ばっかりじゃなし、外に行くときゃ、うちの者んの一人行きや、男か女か、誰かしゃっちお供の付い とった。一人歩きゃもっての外じゃった。そりばってん、世間も段々変って、明治も四十年頃になっ て来たりゃ、簡単に行ったり来たりするごつなったたい。

  山本に行くと作さん小父っつぁんな子供好きで、子供ばようたてがよんなさった。「ほら、おっ母 さんなもうおけりょる、そーらもう降りよんなさる」ち云うて、たてがいなさるもん、おろたえて、 行こうでちすると、手広げて通さんまんごばしなさるけん、とうとう泣き出すと、「そーら、あんま りたてがいなさるもんじゃけん、どこのお子さんでん泣かせてしまいなさって。」ち小母さん方の仰 しゃりょった。
「やーしもた!早よおことわりにお菓子ば上げっさい」ち小父っつぁんな面白がりょんなさった。

  うちに作さん小父っつぁんのお入ったとき、いつかあたしが、デデマンゴしてお目掛けたげなたい。 そっで何時まっでん、たてがよんなさった。御井高等に行きょった頃、よう通町あたりで、小父っ つぁんの馬に乗っておいりょっとに行き合わせよった。そすと、馬の上から「ミチしゃん、デデマンゴ はどーの」ちたてがいなさるもん、学校友達とつんのうとるとにくさい。ほんにどうして、デテマンゴ てんなんてんしてお目掛けたじゃろかち、あたしゃそのたんびんに後悔しょったたい。そげな風で娘頃 迄ようたてがわれよった。ばってん一ペんなほんに褒められたこっのあった。

  うちに雨の降りょっとに、子供が二人、ちょいと破れた大っか傘ばさして、いっしよには入っとる軸 物のあって、あたしゃほんにその絵ば好いとったけん、いつかその軸物掛けてお花ば生けたかち思よっ た。そりから、いつかその絵の蔵から出してあったけん、そりばお床に掛けて、庭先に麦のこぼれ種か ら立派な穂ば出した一株の生えとったつば、お丼に生けて、絵の前にかざって、ちがい棚に置時計ば置 いといた。

そしてあたしゃ山本さん行ったりゃ、入れちがいに作さん小父っつあんのおいったげな。あたしが山本 に居るうちに小父っつあんの帰ってお入って、今日の床の間のかざりゃなかなかよかった。あげな気持 ちばもっとるちゃ感心ち、どんどん褒めなさるもん、あたしゃ何じゃり照れくそうして…。小娘の頃ん こつたい。

  いつか山本から、ご年始に連れ立っておいった時、何かあった後じゃっつろか、大太鼓てん、しめ太 鼓のお座敷に出とった。しめ太鼓ちゃ台の上にのせてあっとば上から打つと、大太鼓は台に載せたつば 横から打つとじゃったたい。そりの出とったもんじゃけん、尋しゃんのそりば打とうでち、バチば取っ て、こーう振り上げなさったりゃ、うしろさんバターツち倒れなさって、覚えんごつなんなさったけん、 大さわぎになって、うちのかかりつけの安元の養元さんば呼び行くやら、男の山本にお知らせに走るや らで。

山本からは直ぐ山本のかかりつけの、牛島せいみんさんば人力でやんなさるし、病人な人力じゃ揺るゝ じゃろち云うて、お籠持ってお迎いの来たたい。そのうち尋しゃんな気のつきなさって、別に大したこ つはなかったけん、お帰りゃ、おのぶばばさんのお籠で抱いてお帰(け)ったたい。


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