甘木朝倉地方の立地と環境 |
この地は、九州山地を源とする筑後川によって筑後地方と区別され、北は6〜800mの朝倉山塊によってさえぎられ、西方に開けた筑前の国の最南部に位置している。西南部は標高130mの花立山(城山)により筑後平野などと分けられ、東方の杷木を頂点に夜須町吹田・花立山(城山)を底辺部とする三角形状の平野となっている。その平野も北から南へ流れ出る川、西側より宝満川・曽根田川・草場川・小石原川・佐田川・荷原川・桂川とほぼ等間隔で河蝕され、比高3〜10m程のゆるやかな洪積台地と沖積平野が交互に形成されている。その洪積台地と沖積平野を利用しながら、私たちの祖先は古くから住み着いてきたものと思われる。最近の邪馬台国ブームの一役を担っているいわゆる甘木説は・こうした自然環境が大きく影響しているようである。また杷木の神籠石・朝倉の伝朝倉宮跡など大宰府前史となるべきものも、この朝倉地方に関係があることからすれば、朝倉の古代遺跡はやはり無視できない存在である。 |
先土器時代 |
縄文時代より古く、石器のみで土器を伴わない時代を先土器時代という。その存在は岩宿遺跡(群馬県新田郡笠懸村)で初めて確認され、その後その発見は全国に及んだ。また、この時代は無土器時代・旧石器時代ともいわれる。古くは、今より約15万年〜約20万年以前にまで及ぶといわれている。当時使用されていた道具は、ほとんど打製石器のみであった。経済的には狩猟や木実等の採集による自然採集経済で、不安定な生活であった。甘木朝倉の主な遺跡には、城山遺跡がある。 |
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朝倉地方の打製石器:サヌカイト 角錘状石器 |
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