天照大御神
     実年代がはっきりしている第31代用明天皇以後の天皇は、1代の平均   在位年数がだいたい 10〜14念程度。
   用明天皇から35代前の天照大御神が活躍していた時期は「魏志「魏   志倭人伝」人伝」に記されている倭の女王卑弥呼が活躍していた時代   と重なり合う。
      卑弥呼でないかとされている @神宮皇后 A倭姫(山と姫)B倭ま   た迹迹日百襲姫(大和と戸紐も疎姫)C天照大御神の四人のうち、卑   弥呼が活躍した時期と重なるのは、天照大御神だけである。
       天照大御神と卑弥呼とでは活躍の時期だけでなく、次の点も一致する。
    ・ 天照大御神も卑弥呼も女性。
    ・ 天照大御神も卑弥呼もともに宗教的権威をそなえている。
    ・ ともに夫を持たない。
    ・ 卑弥呼に弟がいた。天照大御神にも須佐之男の命、月読の命という    弟がいた。
    ・ 「古事記」による高木神(天照大御神と一緒にしばしば命令を下し    ていたたかぎのかみ)と「魏志倭人伝」の女王卑弥呼の言葉を伝え    るために出入りしている一人の男と符合する。
    ・  魏の皇帝は卑弥呼を「倭」の女王とし、「親魏倭王」の称号を与え    た。「古事記」には、神武天皇を神倭伊波礼毘古の命(かむやまと    いわれびこのみこと)と呼んだように「倭」の文字がしばしばあら    われる。そこで卑弥呼に当てはまる人物は「古事記」「日本書紀」    に記されている大和朝廷の関係者から求めるべき。
     時代に合致する人物は卑弥呼。
    ・ 天照大御神は大和朝廷の皇祖神であり、卑弥呼は邪馬台国の女王。    大和と邪馬台国の音が類似している。
    ・ 卑弥呼の宗女、台代(とよ)に当たる人物をわが国の資料に求めう    る。 
  ・ 卑弥呼の死後の争乱に当たる記述が「古事記」にある。



  邪馬台国までの距離

1里を90m100m(例えば帯方郡〜狗邪韓国間の実際の距離は580〜680Km1里は90m弱となる。魏志倭人伝の記述は7000里)で計算すれば甘木市付近に行き着く。

     帯方郡から甘木市(邪馬台国)にいたる道順(1万2千余里)−九州到   着後  
   ・ 伊都国から陸路でいく方法。 1000Km
   ・ 主に水路で行く方法。壱岐から松浦半島、西彼杵半島、島原半島を通   って有明海から筑後川をさかのぼる方法。 1150Km
   ・ 遠賀川をさかのぼる方法。 1080Km
   「魏志倭人伝」の1万2千余里=1080Km〜1170Kmとなる。
以上を裏付ける新たな発見として次の2例を紹介

@       平塚川添遺跡の出現
   吉野ヶ里遺跡に匹敵する、あるいは、これを上回る大きさの環濠   集落跡が発見され、卑弥呼時代のものと見られる「長宜子孫」銘   内行花文鏡が出土した。
A       卑弥呼の死の前後二年続けて皆既日食・・・
   東京大学教授であった斉藤国冶らの研究により、卑弥呼が死んだ   とみられる年の前後の西暦247年と248年に二回続けて北九   州地方で皆既日食があったことが明らかになった。
   ・・・天照大御神が天の岩屋に隠れると天地が真っ暗になったと   いう神話と結びつく。



次へ