橘の広庭をめぐる付近一帯には、いろいろといわれの深い神社がまつられていますが、この別所神社もまたその一つです。
斉明天皇は女帝の身でありながら、百済を助けるために中大兄皇子ら文武百官を従えられて朝倉の宮にはいられたが、ほどなくして病にかかられました。
大へん心を痛めらめられた皇太子中大兄皇子は、宮野神杜の東にあたり、しかも橘の広庭の宮に近いきよらかな場所をえらばれ、麻氏良山にあったと伝えられる「朝倉杜」の神々の中か「伊弉冊尊」を分けてまつり、天皇のご病気平癒を祈願されたということです。このことから別所神杜と呼ばれています。
昔は須川村の氏神としてまつられ、百年あまり前まではここより南のお旅所━宮野幼稚園の北側━まで、こ神幸(神体がみこしなどで渡る)があっていたということです。今もその旅所のあとが残っています。
また、拝殿の柱の礎石は蓮華模様が彫られていて、非常に珍しく、これは朝闇寺━廃寺━より持ってきたものではないかといわれ、貴重な文化財であります。 |
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