筑後川は私たちの朝倉町の暮らしに遠い昔から深いかかわりを持ってきました。
古い書物の中には、菱野のあたりを織面(おべ)の湊(みなと)(港)とよび、比良松あたりを広瀬郷といって、商業を営む地として記され,います。このことは筑後川が菱野のあたりから比良松にかけて流れており、舟での交易が盛んであったことが考えられます。とくに菱野や山田地区の台地からは糸を紡ぐときに用いた紡錘車の出土が多く、むかしから桑畑が多く養蚕のさかんな地方でもありました。織面の湊の地名からしても、この頃から織物の産地として栄え、その織物を取引商人の多い広瀬郷に卸し、筑後川を利用して他の地域と交易をしていたのはないでしょうか。
わたし(筆者)たちが幼い昭和のはじめ頃までは、筑後川上流から、または下流から、帆掛け舟や筏舟が行ったり来たりしていたことを思い出しますと、その交易が行われていたことをいっそう強く感じるのです
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