3山田堰と堀川


 堀川は、筑後川に堰をつくり、水を引き、朝倉町を東から西へ流れて「突分け」筑後川やその他の中小沖川からの水を利用できない朝倉、━田中のところから大角方面と長渕方面へ堀川がわかれているところ━で左右に分かれ、約12キロメートルにもおよびます。
 もとの朝倉村、大福村、金川村、蜷城村の四か村(金川、蜷城は現在甘木市)にまたがって、実に700町歩(700ヘクタール)という広い田に水を注ぎ、朝倉の穀倉(穀物の倉)とまで言われるようになっています。
 しかし、これはけっしてわずかの月日で、できたものではありません。わたしたちの祖先の人たちが長い問の苦しい労働にたずさわってきた苦心のたまものです
 では、堀川がなぜ、いつ頃、どんな人たちの手によってできたのかについての歴史のあらましをのべてみたいと思います。
水神社・切貫水門・堀川用水
 堀     川       

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[切抜き水門」