切貫水門(水門を移す) |
堀川ができて59年目の享保7(1722)年、八幡宮の前にあった水門を埋めて、少し上流にあたる現在の位置に移すことになりました。 そのわけは、それままで絶え間なくおそう大水などで水の取り入れ口に土砂がつもり、用水が不足し、田に水が乗らなくなったためです。 しかし、この新しい水門の仕事は、巨大な岩をくりぬくトンネル式であったために当時としては大へん困難な工事であって多くの危険をともないました。 このため堀川関係の農民たちは、水門切貫工事の安全と水難からのがれるために、この年「水の神」を祭り水神杜を建てました。 |
|
NEXT
「古賀百工の功績」