宝満宮 |
所在:志波宮原.
宝満宮は志波の産土神にして、昔三笠郡の宝満山より竈門神社を分祀してこの地に祀ったもので、宝満宮と斉きまつる。 宝満山の竈門神社は玉依姫命を祀ったもので、「延喜式神名帳」にも載せられてあるが、後世神功皇后、応神天皇をも合祀したもので、志波の宝満宮もまたこれに倣っている。 この神社も大友の兵火に焼かれたために、杜記伝記宝物の類も全く失われ、その古事を知る由もない。 宝永二年に貝原常春の記した縁起にも、いずれの年に祀られたかは記されていないが、大友の兵火の迫ったとき、当時の杜人が境内の大楠の空洞の中にご神体をかくしまいらせ、これを守ったらというそのとき一緒にに持ち出したものであろう古い棟札には、 大壇越秀外院殿従五位前予州大藤朝臣提種居士 目代 吉瀬杢允藤原安秀 と読める、外にも文字はあるが古色蒼然として読みとりにくい。 その楠は現存しているが、昔は夫婦楠といって表参道石段の両側に対をなしてあったのが、今は枯れて雌楠といわれる一株だけが残っている。元文5年(1740)3月5日建立の、石の鳥屠があり、筑前州上座郡杷岐郷志波邑、氏子中と記されてある。 この社も戦禍に荒廃して幾星霜を過ごしたが、宝暦9年(1759)10月21日に神殿が建てられ、ついで安永4年(1775)11月20日拝殿が建てられた。 ここの境内には七タ石という五つの石があり、毎年7月6日の晩には子供たちが集まって七タ祭を行ったと伝えられている。 また、境内に古墳があり、昭和六年の梅雨時に露出した古墳から家形植輸の破片や、数々の副葬品が発見されたが、まだこのほかにも古墳らしきものが数か所見受けられる。 |
宇賀神社
宝満宮境内に祀る |
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日吉神社 |