大己貴神社と邪馬台国

  ● 日本最古の神社

三輪町弥永の大己貴(おおなむち)神社は、近在では最も格式の高い神社で、土地の古老たちは、日本最古の神社だ、と言い伝えています。土地の古老たちの言い伝えに多少の郷土自慢が含まれているのは確かでしょうが、まるで根拠のない話ではありません。
周辺の人々は昔から、この神社を「おんがさま」と呼んでいますが、それは「おおがみさま」という言葉の訛り。また、大己貴神社は別称を大三輪神社ともいい、一郡の古書には「大神(おおみわ)神社」とも表記されています。大神神社といえば、奈良の三輪山のぷもとにも同名の神社があり、通説ではこの神社こそが日本最古だとされています。しかし、三輸町のほうが、じつはそれよりも古いのではないかというのが、古老たちの主張なのです。

大己貴神社
例えば、十世紀初頭に編纂された『延喜式』の「神明帳」には、同し「於保奈牟智」(おおなむち)という祭神を持つ二社のうち、大和地方のそれはすでに大神神社と表記ざれ、筑紫の国のそれは於保奈牟智神社と記されているというのです。漢字が日本に渡未した当初は、宛て字として用いるのが通例。となると、古名のまま日本最古の〃神社番付け〃に記されている、筑紫の国のそれのほうが古いのではないかというわけです。九州のどこかはともかくとして、この地で発生し、あるいは台頭した勢力が何らかの理由で東へ移り、わが日本の国造りの中心勢力となったのではないかとするのが、いわゆる〃大和東遷説〃で国造りの神話の解明が進むにつれて、それはほぼ定説となりつつあるようです。そこで東遷を前提として考えてみれば、類似する古き事象や地名などが、九州と大和地方に存在する場合、九州を〃本家〃とするほうが無理がないのではなかろうか。このような推論もまた、三輪町の古老たちの言い伝えを裏付ける、有力な根拠の一つ。
古老たちは言っています。「いや絶対、おんがさまが本家です。日本最古は三輪町の大己貴神社。今後はいろんな先生たちがさらに研究して、はっきりさせてくれると思います」

     ● 邪馬台国 甘木・朝倉説

邪馬台国
中国の史書『魏志倭人伝』に書かれた邪馬台国は、どこにあったか?
いわゆる邪馬台論争は、年を追う毎に過熱して、全国各地でさまざまな人が、それぞれに興味深い仮説を提唱しています。そんな中で、最近あらためて注目を集めているのが、「邪馬台国、甘木・朝倉説」で、これは安本美典文学博士が昭和42年刊行の自著『邪馬台国への道・科学が解いた古代のなぞ』で主張ざれた説に端を発しています。同博士は、『古事記』や『日本書紀』、また他のさまざまな資料を、コンビュータで解析。その結果として@卑弥呼と天照大神は同一人物、A天照大神の首都高天原は邪馬台国である。B『延喜式』による地名を分析すると、その位置は甘木・朝倉となる・・・などと提言され、話題を呼ぴました。その後、アカデミズムの立場から、あるいは自由な立場から、〃甘木・朝倉説〃を発展させ、補強する説が次々となざれ、また、それらにともなって、遺物や伝承の再認識も進み、同説は急浮上。いずれにしても、その結論は今後のいっそうの研究を待たねばなりませんが、この説が邪馬台国九州説のうちでも、かなり有望であることはまちがいのないところ。ところで、安本博士の主張の中で、私たちにもわかりやすく、納得させられるのは、筑紫の国と大和地方の地名におどろくほどの類似が見られるという指摘です。いずれも時計の針を逆に一周して・・・
  <九州>・・三輪町・朝倉町・鷹取山・星野・浮羽町・杷木町・鳥屋山・山田布・田川市・笠置山,御笠・御井町・小田・池田・夜須町。
  <大和>・・大三輸町・朝倉・高取山・吉野山。音羽山・榛原町・鳥見山・山田・田原・三笠山・三井・織田・池田・大和

これに先の東遷説と大己貴神社の日本最古説を重ねてみると、いずれにしても、同神社を祭り、中心とした一勢力が大和地方に東遷して、自分たちの故郷であったところにならって、地名を付したということになりそうです。ところが、残念ながら、これも今のところは板説に過ぎず、結論は今後の研究待ち。ただし、次のようなことだけは、はっきりといえるのではないでしょうか。
大己貴神社の周辺には、巨大な勢力が存在した。甘木・朝倉地方の歴史はきわめて底深く、汲めども尽きぬ魅力を秘めているということ。
「大己貴神社は、全国的に見れば今こあまり有名神社ではありませんが、それでいて、全国から人が訪ねてきます。古代史のロマンの原点の一つだからと、研究のために来る人が多いのです……」
「おんがざま」をこよなく愛す、土地の、ある古老の言葉です。


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