★ 北野天満宮の県指定の文化財や天然記念物           (資料提供 北野天満宮) 

@筑後国北野天神縁起
(ちくごのくにきたのてんじんえんぎ)(三巻)

昭和37年に県文化財の指定を受けた。
江戸時代末期の作と言われている。
第一巻は菅原道真公の生涯、
第二巻は道真公の神霊の活躍、
第三巻は社寺の創建、霊験となっている。
A銅製鰐口(どうせいわにぐち)(1口)
昭和37年に県の文化財の指定を受けた。これは、神仏の堂前につるす金属製の金鼓。これに布で編んだ綱をつるし下げ、参拝者が、それを振り動かして打ち鳴らし、願い事をする道具。
刻まれている文字によると、今から約470年程前に、「壇那草野中務少輔藤原朝臣親永(だんなくさのなかつかさしょうすけふじわらあそんちかなが)」が同宮に奉納し、「灰塚左馬助秀家(はいづかさまのすけひでいえ)」が鋳造したものとなっている。
B北野天満宮石造鳥居(1基)
昭和37年県の文化財の指定を受けた
肥前鳥居(別名・慶長鳥居)と呼ばれるもの。最上部に横たわる笠木とそのすぐ下の島木との境界が明確ではなく、それらと貫との間隔が狭いのが大きな特徴となっている。又、ほかの鳥居と比べても両方の柱が下太りとなっている。
C大樟(おおぐす)
境内の心字橋に架かる橋を渡ると、
すぐ左手にそびえる大樟。
昭和33年に県の天然記念物の指定を受けた。
根本周囲22.0m、枝張り東へ11・0m
樹高17・5m。
D北野くんち(御神幸祭)(ごしんこうさい
昭和38年県の無形文化財に、昭和51年には、県の無形民俗文化財に指定される。
祭礼では、風流が奉納され、御神輿や大名行列(有馬藩主の行列が同宮を参拝した折の様子を再現したもの)が、下宮までの約2kの参道を練り歩く。
 《菅原道真公とこの風流の奉納との関係について伝わっている話》
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昔、河北の庄では、河童が出没し、子供たちに悪事の数々を働いていた。そのころ、藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言で大宰府に島流しとなった道真公は、北野の地 をお通りになり、ある川で、馬に水をやろうとしました。すると、河童が馬の足を取り、川の中に引き入れようとしました。そこで、道真公は、素早く刀を抜き、その手を切り落としました。以来、河童は鳴りを潜めましたが、道真公の死後、再び子供に悪戯を始めました。そこで村人が相談し、道真公が祀られている天満宮に風流を奉納し始めたとする説。
A北野の地で藤原氏の追っ手に襲われた道真公。その時河童の頭三千坊が、道真公を助けるため戦い、手を切り落とされた。それを慰めるため、風流を奉納するようになった。
北野天満宮には河童の手が保管されている。(現在は非公開)

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