小石原には50軒にのぼる窯元が点在し、特に国道211号線沿いと皿山地区に集中しています。 1682(天和2)年、黒田三代藩王光之が、小石原中野に肥前伊万里の陶工を招き、大陸風の磁器を伝え、この頃すでに小石原にあった高取焼と、この窯が交流することにより、小石原焼は形成されていきました。18世紀半ばから名前も中野焼から「小石原焼」と坪ばれるようになったようです。 かつては皿山を中心に、9戸の共同窯による世襲制をとり、大正から昭和のはじめ頃までは英彦山参拝のみやげの徳利や大型カメ、鉢、皿、すり鉢などの荒物製品づくりがほとんどだったそうです。やがて民陶ブームの到来に従って共同窯は解消し、個人窯元が増え、小物づくりなども活発化しました。 昭和33年ブラッセルで開かれた世界工芸展でのグランプリ受賞、昭和36年の日本工芸館小石原分館の設立も今日の小石原焼発展に弾みをつけたようです。そして昭和50年には通産省の伝統工芸品に指定されました。 生活雑器としての道を歩みながら、用と美を確立した小石原焼には、飛びかんな、はけ目、化粧掛け櫛描、指描、打掛け、流し掛け、生掛けなどの独特の技法が生きています。そして、それが素朴で温かい持味を出しているのです。多くの後継者や窯元は、そんな伝統の技を大切に受け継ぎながら、小石原焼の発展を願ってさらに新しい作風の確立をめざしています。 |