久留米市仰井町梅ヶ谷所在。山号は高良山、
蓮台院(古くは月光院)と号する。高良山座
主院の法灯を伝える古刹である。古代の高良
神官寺は高隆寺であったが、中世の末頃から
衰微した同寺に代わって御井寺(三井寺とも)
が一山の中心となる。「.三井の郡の惣寺によ
り、三井寺とは名付けたり」と『高良記』は
記すが、高隆寺と同じく天武朝の創建をいい、
はじめ北谷にあったと伝えることなどからす
ると、御井寺は高隆寺の後身とみなすことが
できよう。その.ト首たる座主は、最盛期には
3860坊の衆徒を率いて筑後に覇をとなえたと
いう・近世東叡山の支配に属したが、山中に
明静院以下12の支院を擁し、歴代の座主に名
僧を得て寺勢盛んであった。然るに明治2年
(1869)2月、高良山の要害に着目した久留
米藩は、山中の寺院を一掃して軍事的に利用
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するため、廃仏毀釈を断行、59世座主亮俊に
還俗と退寺を命じ、座主院を藩主の居館(高
良山御殿)とし、支院を藩兵の屯所(陳屋)
に充てた。翌年、藩は末寺正福寺(久留米市
国分町)を御升寺と改称してその存続を許し
たが、明治11年(1878)に至り、ようやく官
許を得て山下に再興されたのが現在の御井寺
である。本尊は阿弥陀如来。後深草院の勅願
にかかる善光寺分身如来像(もと山中の子院
徳寿院の本尊)、五大明王像(護摩堂本尊)、
毘沙門天像、天台・伝教大師像など、高良山
ゆかりの仏像多教を蔵する。境内に高良山目
代厨氏の墓、また蝉丸伝説にちなむ蝉丸塔が
あり、後者は縁切りの祈願対象として知られ
ている。門前の天狗像は愛宕社から移された
もの。 |