第10回 久留米ん町探検隊 初秋の北野路をウォーク


実 施 日 :2013年10月5日(土曜日)
 


 ・集合場所: 西鉄甘木線大城駅   ・集合時間: 午前9時受付 
 ・参加人数: 30名             ・会   費: 1,000円
 ・出   発:  9:30             ・解   散: 13:00
 ・所要時間:約3時間 7キロ

 ・コースは下記の通りです

1・・・大城駅周辺・益影の井        4・・・良積石
2・・・・塚島古墳                5・・・コスモス街道 
3・・・・赤司神社                6・・・・北野天満宮
  
            
                                   

赤司神社で集合写真

 

西鉄甘木線大城駅に集合

大城町さるき


益影の井 
 

高良山御手洗の清水と朝妻の清水と合わせ
御井(三井)郡の名前の由来となっている。

 神功(じんぐう)皇后が三韓の遠征から凱旋
された折、応神(おうじん)天皇を出産され、

産湯としてこの水を差し上げたと伝えられている
  これ以来安産の祝水として用いられていた。

 
次を目指して! 

塚島古墳の巨石 

 塚島天満宮の境内にあり、別名「塚大明神」、「豊姫宮」ともいい、
豊姫命(神功皇后の妹)の霊廟と言われている。


 この古墳は、筑後川の度重なる洪水のため、原形をとどめず、現在では、
 巨石だけが積み重なっている状況。


塚大明神


別名「豊姫宮」


さるきの様子


紅い秋の花


白い蕎麦の花

初秋の風を満喫しながら 

赤司神社境内で歴史の説明 
 
 草野氏の一族赤司氏が、赤司八幡宮(924年草野氏やはた八幡宮を勧請)
 南側付近一帯に城を築いたが、地形から考えて軍事上の重要な拠点と
 考えられていた為、めまぐるしく城主が交替していた。

 元和7(1621)年有馬豊氏が久留米藩主になると、一国一城の令により、
 廃城となっていた赤司城の石垣を久留米城修築のため使用した。

赤司八幡宮
古代は重要な地帯だった

 

良積石 

大化の改新や大宝律令の制定などで、整った政治形態。しかし、時が経つにしたがい、
規律が緩み、中央から地方に派遣された国司や土地の権力者は、私利私欲に走り始めた。

そこで、筑後国司として赴任した都の御酉(みとり)は、不正を取り締まり、
正常に戻すように努力したが、賊によって殺害された。
    
朝廷から派遣された、藤原朝臣良積によって賊討伐が出来た。 
一般的にはこの石は良積の墓といわれている。


歴史の愛好家の多いシニア

高木隊長の説明、だんだん雨脚が

   
 
良積石説明板

古い文字を称してペトログラフィと言う

さあ〜これから楽しいコスモスウォーク! 

筑後川の支流、陣屋川沿いの堤防約4kほどにコスモスが植えられている。
今は亡き角光迪雄さんが30年ほど前、娘さんの成長を願って 自宅近くに
10mほど植えられたのが始まり。


 
 
元コスモス娘の説明
故 郷 北 野 は 花 の 町
歌:谷 真酉美
作詞:福智のぼる 作曲:須佐卓郎


みんなで歌うと心も晴れる♪
 
   

「坊津街道追分石」

 
北野天満宮太鼓橋
 

学問の神様 北野天満宮正面 

京都の北野天満宮の祭神、菅原道真公の分霊を祀る由緒あるお宮です。

 北野天満宮が創建されたのは、今から約950年前のこと。 それがきっかけとなり
 「河北庄(かわきたのしょう)」と呼ばれていた地名が、「北野」と呼ばれるようになった。

 現在の天満宮の景観が出来上がったのは1764年。 久留米藩主・有馬頼貴の治世の頃と
 言われている。以来、学問の神様として、町内外から多数の参拝者が訪れている。

 

廣津さんの北野昔ん話
「動かぬ聖観音」
 
クルミさんの御詠歌
 

いつも美味しい!
久留米ランチサービスさんのお弁当

 
天満宮にお参りをして解散
 
 
初秋の筑後路をさるく 第10回久留米ん町探検も 台風襲来の影響も少なく、
途中から雨になりましたが、涼しく感じながら無事終わる事が出来ました。
何処を回っても深い歴史に彩られている事を改めて感じました。

高木隊長始め 尽力をされた方々に感謝いたします。
参加して下さいました沢山の皆さん お疲れ様でした。
また次回の探検隊を楽しみにしてください。


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