第11回久留米ん町探検隊   久留米市長門石地区&三養基郡みやき町

 ・ 実 施 日 :2014年4月20日(日曜日)


    
・集合場所:ミスターマックス前     ・集合時間: 9:00受付 
・参加人数: 32名            ・会   費: 1,000円
・出   発:  9:30            ・解   散: 15:00

・所要時間: 約5時間 行程:8キロ

 ・コースは下記の通りです

 1、三嶽神社 楷の木      説明 平岡

 2、白石焼  休憩        説明 太田

 3、白石神社(佐賀県三養基郡みやき町)     説明 金子

 4、大法院の苔庭の見物     説明 太田

 5、千栗八幡宮、         説明 高木 ここで昼食

 6、のこぎり型町並み      説明 太田

 7、ハンター博士の碑(長門石小学校前)    説明 高木

 8、長門石八幡宮 (庚申板碑)      説明 平岡

 9、七木地蔵尊(長門石)     説明と昔ん話 廣津

 10、解散

 北茂安町・中原町・三根町 は 2005年より みやき町となる。


                                     

白石神社で全員の集合写真

今回は若き留学生3名が初参加されました。

 
 
 
出発前の元気な皆さん


高木隊長による本日探検の説明

いざ出発!
   

三養基郡みやき町三嶽神社へ

主祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)

 
楷の木の前で説明

中国の孔子廟にあることから
学問の木とされた「かいの木」

白石焼(しらいしやき)

佐賀県みやき町北茂安で焼かれる陶器。古くは磁器が中心で、有田、唐津と共に肥前の
代表的な磁器産地として名を馳せ、有田の西目の皿山に対し、東目の皿山と呼ばれた歴史を持つ。


白石焼の道案内版


白石焼窯元


太田隊員の白石焼きの説明

白石焼き陶器まつりは9月23日頃開かれる


風情がある煉瓦塀


白石神社の登り口にある寄せ仏

右側が弘法大師、左側が不動明王、岩には沢山の仏様が祀られている。



白石神社本殿

 白石神社は北茂安校区・白石地区にある歴史ある神社。

  文政6年(1823年)白石鍋島家第6代鍋島直章公により創建され、
祭神は白石初代邑主鍋島直弘公、白石焼の先覚者である鍋島直ロ公、
土木治水の神・成富兵庫茂安公の御三体が合祀されている。



金子隊員による 白石神社の説明

白石神社奥の院
   
白石神社宝物館の甲冑
宝物館展示の磁製灯ろう

 

みやき町 浄土宗 大法院の苔庭

釣る瓶のある井戸
新緑が美しい

 
   
なだらかな坂道を上って 千栗八幡宮へ  
途中の景色


千栗八幡宮より眺めた久留米市街地


楽しいお弁当の時


本日のお弁当

   

千栗八幡宮の東宮司さんの説明

千本の栗を逆さに植えたので
千栗(ちりく)と呼ばれる様になった。

高木隊長による千栗八幡宮の説明

千栗八幡宮の本殿

佐賀県三養基郡みやき町にある神社。肥前国一の宮 

神亀元年(724年)、当時の肥前国養父郡司・壬生春成が八幡神の神託を受けて
千根(ちこん)の栗が生えている地に社を建てて八幡神を祀ったとされる。

 
お粥堂

3月15日の粥祭は「おかゆさん」ともいい、
粥を使ってその年の豊作・凶作を占う粥占である

2月16日、社前の祓川の水で粥をたき、筑前・筑後・肥前・肥後4箇国を表す
4つの鉢に分けて神殿に納める。

3月15日に取り出し、黴の出方を見る。五色の黴の生えた方角がその年豊作
になる地方であるとする。

今年(平成26年)のお粥の状態は、全面に微かな白いカビが生えていて
「地震大いに見ゆ」と出たことから地震に注意する年になりそうです。
 
(東 宮司の談話)


 

のこぎり型町並み

「のこぎり形町並み」とは、道路の端がギザギザにかたどられ、
  家の軒がデコボコに突き出ている町並みの事をいう。

  なぜ「のこぎり形」になっているかというと、戦乱で敵が攻めてきた時に
  建物の陰に隠れて迎え撃つためという説がある。


 
 
ハンター博士の像

当長門石住民は数百年前から日本住血吸虫のため生命の危険にさらされて来た。

昭和20年終戦の結果、連合軍寄生虫学部長ハンター博士は、当地方がこの風土病の
惨害、特に深刻であることに同情。以来、当地におけるこの病気撲滅の試験地として、

昭和25年、26年の二ヵ年にわたって博士自ら先頭に立ち、中間宿主である宮入貝殺貝のため液状サントブライトを散布すること4回に及び、日本住血吸虫撲滅にはじめて科学的
メスを振るわれる。


 
 
長門石八幡宮

長門石八幡宮(長門石)-長門石の「みやのまえ公園」にある神社
八幡神社 境内には碇 石や庚申板碑などの文化財がある。


 

平岡隊員の庚申板碑の説明 

長門石の由来となった碇石 
 
庚申年(近年では昭和55年)は60年に一度、
庚申日は60日に一度巡ってくる。

その庚申日の夜は、人間の腹に棲む三尸虫
(さんしのむし)が体から抜け出して天に昇り、
人間の罪過を天帝に告げるのを防ぐため、
人々は集まり、会食や雑談などして徹夜した。
これらの行事が庚申講(庚申信仰)の始まり。

この碇石に、長門の国(現在の山口県)の船を
つなぎとめたことからこの地を「長門石」と
言うようになったとあり、
本来、船の碇として使用されていたこの石が、
後に船をつなぐための舫石(もやいいし)に
転用されたことを物語っている。
 
 
七木地蔵尊

名前の「七木(ななき)」は、7種の巨木が幹を一つにしたように聳え立つ
根元に、地蔵さんが鎮座されているからだと言い伝えられている。


 

廣津隊員の昔話「七木地蔵尊」

地蔵菩薩
   
 
水かけ不動尊

ぼけ封じの観音菩薩
 

今日の行程はこれで終わりました。お疲れ様でした。
少し時間がオーバーして3時となりました。平岡隊員の終わりの挨拶

近くにこのような歴史の深い場所があった事の再発見が出来ました。
また秋の探検を楽しみにして、沢山の参加をお待ちしています。

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