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お粥堂
3月15日の粥祭は「おかゆさん」ともいい、
粥を使ってその年の豊作・凶作を占う粥占である
2月16日、社前の祓川の水で粥をたき、筑前・筑後・肥前・肥後4箇国を表す
4つの鉢に分けて神殿に納める。
3月15日に取り出し、黴の出方を見る。五色の黴の生えた方角がその年豊作
になる地方であるとする。
今年(平成26年)のお粥の状態は、全面に微かな白いカビが生えていて
「地震大いに見ゆ」と出たことから地震に注意する年になりそうです。
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(東 宮司の談話)
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のこぎり型町並み
「のこぎり形町並み」とは、道路の端がギザギザにかたどられ、
家の軒がデコボコに突き出ている町並みの事をいう。
なぜ「のこぎり形」になっているかというと、戦乱で敵が攻めてきた時に
建物の陰に隠れて迎え撃つためという説がある。
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ハンター博士の像
当長門石住民は数百年前から日本住血吸虫のため生命の危険にさらされて来た。
昭和20年終戦の結果、連合軍寄生虫学部長ハンター博士は、当地方がこの風土病の
惨害、特に深刻であることに同情。以来、当地におけるこの病気撲滅の試験地として、
昭和25年、26年の二ヵ年にわたって博士自ら先頭に立ち、中間宿主である宮入貝殺貝のため液状サントブライトを散布すること4回に及び、日本住血吸虫撲滅にはじめて科学的
メスを振るわれる。
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長門石八幡宮
長門石八幡宮(長門石)-長門石の「みやのまえ公園」にある神社
八幡神社 境内には碇 石や庚申板碑などの文化財がある。
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平岡隊員の庚申板碑の説明 |
長門石の由来となった碇石 |
庚申年(近年では昭和55年)は60年に一度、
庚申日は60日に一度巡ってくる。
その庚申日の夜は、人間の腹に棲む三尸虫
(さんしのむし)が体から抜け出して天に昇り、
人間の罪過を天帝に告げるのを防ぐため、
人々は集まり、会食や雑談などして徹夜した。
これらの行事が庚申講(庚申信仰)の始まり。
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この碇石に、長門の国(現在の山口県)の船を
つなぎとめたことからこの地を「長門石」と
言うようになったとあり、
本来、船の碇として使用されていたこの石が、
後に船をつなぐための舫石(もやいいし)に
転用されたことを物語っている。 |
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七木地蔵尊
名前の「七木(ななき)」は、7種の巨木が幹を一つにしたように聳え立つ
根元に、地蔵さんが鎮座されているからだと言い伝えられている。
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廣津隊員の昔話「七木地蔵尊」
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地蔵菩薩 |
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水かけ不動尊
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ぼけ封じの観音菩薩 |