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高良内・青峰地区の文化財

文化財

高良内・青峰校区は久留米市の南東部に位置しています。高良内校区は、高良山と明星山に抱かれ、高良川によって形成された扇状地の上にあります。東側の大部分は山林で、古くからの集落は高良山の南斜面に東西に長く形成されています。また青峰校区は明星山から西へ延びた傾斜地を、高良内ニュータウンの造成でできた町です。


高良内の歴史

高良内町の歴史は古く、ひようたん山遺跡で旧石器時代の石器が発見されています。縄文時代の遺跡としては、早期のひようたん山遺跡跡があり、押型文土器が数点出土しています。また後〜晩期の持田遺跡では数多くの土器や石器が出土し、生活跡と考えられます。 弥生時代の遺跡は、柳の瀬遺跡跡で弥生土器の出土が伝えられていますが、詳しいことはわかっていません。

古墳時代になると、高良山南麓や明星山北西麓に多数の古墳が作られます。特に石櫃山古墳は全長/15m、後円部径34m、高さ5.5mの前方後円墳でしたが、削られて無<なってしまいました。現在高牟礼中学校になっている西行古墳群は計28基もの円墳の痕跡が見つかり、北西にある持田古墳群へと広がっています。この他に、下柳の瀬須恵器窯跡もあります。

 

弥生・古墳時代

江戸時代末、矢野一貞か書いた『帰厚遺物縮図』のなかに、杉谷出土の蔵骨器と思われる土器があります。この土器の中に「和同開弥」が1枚入っていたと記されており、奈良時代頃のものと思われます。 平安時代になると西行山古窯跡群や山ノ上瓦窯跡が見られ、南西部は、生産地となっていました。鎌倉時代には、高良山南西麓に池田遺跡や打揚り遺跡、正牟田遺跡などが見られます。南北朝時代から戦国時代にかけては、明星山や耳納山山頂に山城が築かれています。  このように高良内・青峰校区にはたくさんの遺跡があります。発掘調査か行われず消滅した遺跡や山中深く発見されていない遺跡もあると思われます。今後の発掘調査や分布調査の結果を通して、校区の歴史を明らかにしていかなければならないでしよう。

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