松尾芭蕉は各地を旅し、不易流行の思想で俳譜を文芸の域にまで高め、またたくまに全国に俳諧の流行を広めました。その松尾芭蕉の十哲のひとり、志太野波は、元禄から享保にかけ筑後の山野を訪れました。浮羽の俳壇は野波の来遊によって活気づき、各地に残る塚や句碑がその名残をとどめています。
やがて俳句にも新風がおこり、明治時代には正岡子規らによって芭蕉、蕪村を新しく見直した近代俳句の歴史が幕を開け、高浜虚子は明治30年に『ホトトギス』を創刊しました。水原秋桜子や山口誓子ら俳句史に残る「4S」を輩出しながら、花鳥諷詠のホトトギス俳壇内にも新興俳句運動が起こり、秋桜子は新たに『馬酔木』を主宰します。この中央の激動は昭和4年にいち早く『黄櫨』を創刊していた浮羽の地にも及び、伝統をくむホトトギス系の『やまたろ』(藻屑蟹の地方の呼び名)が誕生しました。
芭蕉や夏目漱石らの句碑とともに、戦争などの苦境を乗り越え、句会の火を絶やすことのなかった吉井俳壇の今も続く軌跡を22の句碑の中に見ることができます。
九十九峰雨上りつ々夏に入る 高浜年尾(百年公園内)
問い合わせ 吉井町役場町おこし課 TELO9437-5-3111 吉井町観光協会 TELO9437-6-3980
上/粧へる筑紫野を見に杖ひかん 高浜虚子 (若宮八幡宮境内) 下/菜の花や恵蘇の瀬鳴りの遠ひびき 河野静雲 (若宮八幡宮境内)
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