弓の名手といわれた源為朝は、一矢で8人を射抜いたと いう伝説の持ち主です。為朝はわずか16歳で九州全土を 制し、その折に源氏の氏神、鎌倉の鶴岡八幡宮を祀ったの がこの若宮八幡宮です。
古墳とともに
戦いを見つめてきた八幡様
左右の古墳を「日月の岡」と称し、鶴の翼のような陣型に神域を つくったのは、いざという時の城塞だったのか、しばしばこの社は 戦乱の中、攻防の地として兵火に焼け落ちました。星野・有馬と いった歴代の領主の保護を受け、郡の一の宮の格式を誇りながら、 日本でもっとも多かったといわれる百姓一揆の本拠地になるなど、 この一帯の時代の流れをじっと見てきた鎮守の杜です。今も巨樫、 大楠、老杉、古楓といった大樹が、悠々たる時を重ねています。
●若宮おくんち
時代絵巻の毛槍行列
毎年4月3日の春祭(俗にうの日という)には「粥占い」、「鳩かえ」、 「鬼火の神事」などがあり、秋は10月17日、18日の「若宮おくんち」 が絵巻物をくりひろげます。17日の収穫感謝の神事が済むと、 御旅所の河童相撲で知られた高橋神社へ白壁土蔵づくりの町並 みを行列が進みます。ニ頭の追分獅子が駆けぬけ、赤鬼、青鬼が 恐ろしい形相で露払いし、猿田彦が見物客を見おろしながら進みます。 続いて鋏箱を先頭に5本の毛槍衆、稚児行列と続く疏水に映る 約1kmのご神事です。
●村田英雄生誕地記念碑
のど自慢を見守る無法松
平成12年、この境内に無法松の一生で知られる歌手村田英雄 生誕地記念碑がたてられ、23年続く優勝旗争奪職場対抗のど自慢 大会には村田英雄杯なるものが贈られるようになりました。時は移り、 現代の歌合戦を八幡さんはどう眺めていることでしょう。
左/広瀬淡窓の撰文が刻まれている金銅製狛犬。 上/毛槍衆が「ヨイヤマカセ」の掛け声とともに毛槍を振り、突き上げる。