ヒナモロコはかつて日本が大陸と陸続きであったことを証明する体長6〜7cmになるコイ科の淡水魚です。環境庁のレッドデータブックの絶滅危惧種にもあげられ、生息地が不明で絶滅が心配されていた幻の魚でした。
平成5年に「人と自然が共存して、豊かで思いやりのある農村コミュニティをつくろう」と住民有志5人で始めた「耳納塾」は、平成3年に田主丸で最後に確認され絶滅かと噂されていたヒナモロコの生息調査に乗り出しました。夜となく昼となく探しましたが見つかりません。調査区域も筑後川全域に及び、もはや絶滅してしまったのかとあきらめかけていた時、塾主催の講演会に釆ていた竹野小学校の内山美沙子さんが「この魚なら学校の水槽にいるよ」と言ったことから大騒動。それはまさしくヒナモロコで、採集された場所はドジョウも泳ぐ昔ながらの懐かしい土の畦溝でした。80匹のヒナモロコが確認され、この奇跡の発見をマスコミは大きく取り上げました。
ヒナモロコ。身体の中央から背中にかけて淡い褐色で腹は白く、中央に黒っぽい帯がある.雄は雌より小型で、5〜6期の産卵期には青色の婚姻色があらわれる。
ところが、その1週間後に水路は3面コンクリート張りとなる運命でした。これではもはやヒナモロコは棲めません。 耳納塾のメンバーは夜中に農家を1軒1軒まわり、この小さな魚を守ることが環境と農業の新しい関係をつくる可能性を秘めていること、こどもたちや地域にとってかけがえのない宝ものとなるという思いを伝えました。ぎりぎりのところでヒナモロコと共生できる泥底、石積みの工法へと計画は変更されました。町や地域の人々をまきこんでrヒナモロコレスキユー隊」が結成され、町や農水省の予算で「おたから堀」など自然を残した水路が3ケ所実現。地元農家からも保存会がたちあがり、ヒナモロコは町の天然記念物となりました。
空き教室を水族館にし、ヒナモロコを通じて地域の環境について考えている竹野小学校をはじめ、飼育方法を学び育てて放流する里親事業などの取り組みでヒナモロコは徐々に数を増やしています。田んぼを支えてきた哇溝がコンクリートで囲められて浄化力を失い、生き物も棲めなくなっていましたが、少しずつ自然が残る生きた水路に戻りつつあります。小さなヒナモロコは救ってくれた恩返しに、環境についていろんなことを教えてくれたのです。
地域の人々で行われた「おたから堀」の花植え風景。(平成8年)堀の横の道が昔殿様が鷹狩りに行つた道で「おたかの道」とよばれていたことから命名された。かつてはどこの畦溝もそうであったように、多くの魚たちが泳ぎ、こどもたちの魚とりの声が響く。平成7年にはヒナモロコの棲める里のお米「ヒナモロコ米」も生まれ、その美味しさが人気をよんでいる。