●山苞の道(やまづとのみち)


 耳納山の麓に「山苞の道」と名付けられた道があります。 故郷の田主丸に再び居を構えた画家西田豊さんが、耳納の里に美術館をと平成6年につくられた会が発端でした。会合を重ねるうち「いきなり美術館を建てる前に、文化的な意識を高めるため農免道路に愛称をつけよう」ということになりました。

山に包まれた道そしておみやげの多い道

ひとつの名前から

 平成7年、333道の応募の中から選ばれたのが「山苞の道」です。やがて会の名前も「山苞の会」となりました。「苞」は、ワラに包まれたみやげものという意味があり、源氏物語の中にも「山苞にもたせ給へり紅葉」という句があります。山苞の道とは、山に包まれた道、そしておみやげの多い道。美しく心ふれあうやすらぎの山里づくりがはじまりました。

小さな旅を探しに来ました

 もとから、絵画、陶芸、染色、工芸の作家が移り住み、巨峰や植木・苗木の産地として豊かな環境を守ってきていた田主丸では翌年から、11月2日と3日の文化の日に合わせて「釆て見てん山苞の道」を始めました。この道を中心に、山里をゆっくりと歩いて見てもらいながら、手に心におみやげを持ち帰ってもらおうというイベントは、いろんな歴史・旧跡とともに油絵、木版画、ステンドグラス、染め物、人形、手作り家具と、そこに暮らす人々の手によるのものがギャラリーとなり、お店となって訪れる人をあたたかく迎えます。ワイン貯蔵庫や焼酎工場をはじめ、手づくりのパンやジャムなど、美味しいものとの出会いがあります。

山苞の看板は録の小鳥のかたち。訪れる人々が増えることで山里がかえって汚れないよう、心ない人には釆てもらいたくないという引き算の考え方が、いつまでもかわらない山里の静けさを守るのです。「山苞の会」は、住民が中心となった活動が高く評価され、平成9年度には「農村アメニティコンクール」で特別優秀賞を受賞しました。西田さんはギャラリーの庭先の木陰で、水筒のコーヒーを美味しそうに飲んでいった女の子たちの言葉が忘れられないといいます。「小さな旅を探しに釆ました」と。

 耳納の山の麓に美術館をつくりたいという西田画伯のひとつの想いに、多くの人々が集まつた。時がたつにつれ、その発想は建物という枠をこえ、そこに暮らす人々の生業の中にある文化をつなぐといういきいきとした「かたち」となった。それが山苞の道である。今、町という枠もこえて耳納の山の麓、筑後川の流域がまるごと博物館になる、そんな夢が人々の間に静かに広がりをみせている。

水が流れ、果樹園と森が広がる5kmの道沿いを見どころを訪ねて。4月29日の「みどりの日」には「新緑を訪ねて山苞の道」、11月2日3日には「釆て見てん山苞の道」があります。(○は11月のイベント時のみ開放)

農園、工房、ギャラリー、歴史
来て見てん山苞の道

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