草野風流


御神幸行事は、神が宿る神輿が村に降り、人々の願いを 聞き再び本宮へ戻るという神事です。行列は里人による稚 児行列、獅子舞、風流などをともない、隔年7月、須佐能 衰神社が繰り広げる神幸行列を「草野風流」と呼びます。

建久8年(1197)草野家発心城、草野太郎永平が須佐能 衰神社を勧請し、天下泰平、五穀豊穣を祈り草野風流を 始めました。天正16年(1588)の草野家滅亡とともに風流 も途絶え、文政11年(1820)の再興の後、戦後の人員難で 再び途絶えたものの、昭和56年に20年ぶりに復活し、市 指定無形民俗文化財に指定されました。2日間にわたり、 草野の町並みに、小鉦や笛、獅子が舞い、ぶつかり含う音 が響き渡ります。

左/花笠をつけた稚児行列の小鉦や袴姿の青年たち笛や太鼓の音が通りに 響き、赤と黒の面をつけた鬼(タゴ面)を先払いに大名行列が続く。毛槍を 空高く投げる様子は豪快である。お旅所で獅子が豪快に神迎えを舞い、神 輿が安置されると神事の第一日は終わる。 右/平成4年にできた草野風流保存会を中心に、氏子たちによって草野の 伝統が引き継がれている。

祭りの始めには、水色の狩衣に烏帽子の行事が巻物を広げ、向上を述べる。 その年に選ばれる13歳の少年が、日々の練習を重ね、そらんじる。

仰此草野風流 と申は遠く草野 庄九瀬川之河泊 よリ不思儀の教を 請。当社祇園午 頭天王奏し来り 然るに草野殿天正

十五歳太閤秀吉 之為に没落におよび 此楽たゑたり再 興之時至るかな幾 百歳を経る事遙か に過て文政十一子年 故有て昔を今に 返し水無月の御幸

之年毎に幾千代 尽せぬ風流の楽を 奏し神霊をしづめ 天下太平国家 安のんの祈る物ならん としかいふはやくはやく みなみなそふした まへそうしたまえ。 時文政十一子歳 六月

上/赤黒の重厚な獅子はそれぞれ二人で操る。日が暮れて 獅子を払ううちわが提灯にもち帰られると、暴れ獅子の振り 上げる麻縄によって提灯は打ち破られ、一つまた一つと灯 りが消える。 右/二日目、神輿が神社に到着すると獅子はいっそう激しく 追い上げる。歩くのも難しい急な石橋にかかると祭りは最高 潮を迎える。  

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