封建的諸制限
さきにのべたような過酷な貢租の搾取を継続していくために、農民に対する統制が必要になって幕府諸藩に於てあ
らゆる分野にわたる制限規定を断行しています。最低限度の生活に釘付けさせることによって、その搾取は可能でし
たので、動物的な生活を維持している農民にたびたび倹約令を発して、生活の向上を抑制しました。
(一) 土地に関する制限
(1) 田畑永代売買禁止令
寛永二十年幕府より発令。久留米藩に於てもこれに準じ、
田畑売買は郡奉行の裁断によって可能。
(2) 分地制限令
寛文十三年幕府より発令。高十石以下分地を許さず。
久留米藩に於ては一町歩以下の分地を禁止。
嫡子の外の子孫への分地は郡奉行の裁断により可能。
(3) 質入・書入・寄附地の制限
土地処分に関する制限は貢租の確保をねらうものですが、
幕府の方針に従って久留米藩に於ても藩令「百姓定」となって
具体化していますが、後半期に至ってこれらの制限が破られて
いく傾向にありました。実際には庄屋の認承のうえ田畑の移動
「永代讓渡証」の記録が残っています。
(二) 耕作物に対する制限
米租中心ですから、本田に煙草その他の作物の耕作を禁止しています。
(三) 移転転職の自由に対する制限 〜 一定限の農民を確保するためです。
(四) 生活上の制限
慶安年間の「百姓定」以来、それを補足する幾多の藩令がでて、
生活全野にわたり微に入り細に入った禁止・制限をもってのぞんでいます。
(1)働くことの規定
久留米藩に於てはしばしば無益の遊民の存在を調査してその処置をなす。
(2)衣食住に対するきびしい制限
久留米藩に於ては衣服は木綿に限定・建築は茅屋・雑食の奨励・
国外旅行制限等。
(五)連帯責任制度 村掟や五人組制度の制定。
(六)宗教の統制
寛永二十年キリスト教弾圧の結果{註}、宗門改め、踏絵が実施され
宗門人別帳の調製となり、寺院の門徒として寺受制度は明治の信仰の
自由解放まで続きました。
即ち寺院は御用宗教化し、戸籍の面にも関係しました。
寺社奉行のもとへ在方よりは毎年人別帳・踏絵・誓紙を改めて提出しました。
註
米藩布告 覚
一、ばてれんの訴人 銀子 一五〇枚
一、いるまんの訴人 同 一〇〇枚
一、きりしたんの訴人 同 五〇枚
右の銀子訴人の輩えは公儀より外に無相違可差遣者也
寛永二十年二月十六日
戸田 勘解由
馬渕 嘉兵衛
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