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階級 | 村 名 |
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上等 | 塚島・乙吉・大城・鏡・高島・八重亀・守部・安永・染 9ヶ村 |
中等 | 中島・稲数・赤司・山須・乙丸・西原 6ヶ村 |
下等 | 江戸・仁王丸・下川・新田・徳次・松木・友光・菅野・吉竹・千原 10ヶ村 |
等級 | 田畑 | 上田(畑) | 中 | 下 | 下々 |
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上等村 | 田 | 反当 石 1.5 |
石 1.2 |
石 1.0 |
石 0.7 |
畑 | 0.85 | 0.65 | 0.4 | 0.25 | |
中等村 | 田 | 1.3 | 1.1 | 0.95 | 0.65 |
畑 | 0.65 | 0.5 | 0.35 | 0.25 | |
下等村 | 田 | 1.15 | 1.0 | 0.9 | 0.6 |
畑 | 0.55 | 0.4 | 0.3 | 0.15 |
田一反歩 (1) 収穫米 一石五斗 (2) 代価 四円八〇銭 (一石に付三円) (3) 種肥代 〇円七二銭 (収穫高の一割五分) (4) 差引代価 四円〇八銭 (5) 地租 一円二二四 (差引代価四円〇八銭の三割) (6) 地方税 〇円四〇八 (地租の三分の一) (7) 地租・地方税 一円六三二 (8) 収穫代価より地租・地方税を除いた金額 二円四四八 (但仮に六分の利と見做す) (9) 此地価 四〇円八〇銭 (10) 地価の百分の三 一円二二四
以上でみてわかるように、地価は売買価格でなく収益価格でした。
大城村一帯竿入検地・一筆限帳調製に四ヶ月を要し、諸調書完成までには相当の月日を要していますが、明治九年には大城村一帯の土地関係の文書も整備されるに至りました。
従来筑後川敷の採草地、堤敷等の原野山林は各村共有として占用を続けてきましたが、所有者不明地・入会地の没収官有地編入に及んで、これらの区域に官有地七十五町歩が占めてしまいました。自給自足経済下の採草地として肥料の給源地として封建農業になくてはならなかった村共有の占有地も、今や堤防使用願・堤防に生ずる副産物受負願・筑後川敷占用願・櫨実秣茅受負願を提出して使用しなければならぬ運命となりました。明治九年官有地拝借見立取調帳が調製されています。明治三十八年筑後川沿岸官有地占用は地元市町村より出願することに変更され、官有地成一筆限帳の整備をみています。
短日月のうちに強行した地租改正事業はその後部分的な諸修正がなされましたが名実共に完全な近代的な租税制度の確立ができなかったところに後長くまで多くの問題をはらんだのでした。明治十五年県治史料に「地籍編纂ハ頗ル重大ノ事件ニシテ就中本県ノ如キハ地租改正ノ際未ダ盡サザルヲ以テ其費モ亦大ナラザルヲ得ズ」とありますが、地租改正以来十年にわたる日月を要して地籍の完備となったものでしょう。明治十八年再測量(三叉法による) を経て土地台帳が調整され翌十九年登記法が制定されています。 大城村に於ける土地台帳の完成は明治二十八年、地価修正後の台帳整理は漸く三十九年に完成しています。
地租改正につながる一聨のものとして明治九年、各村地方名寄帳が調製されています。これは土地台帳の基礎をなすものとみられますが、各戸毎に地租関係をまとめています。現在大城・乙吉・乙丸・赤司五ヶ村の名寄帳が残されていますが、当時の土地所有状況をみるのに貴重な記録です。
地券については改正に先立つ明治四年すでに公布されていましたが、地租改正の済んだ所に一筆毎に地券を渡すことになりました。従来土地占有用益権のみを認められていたにすぎなかった全国の土地は地券をもつものの所有であることが公認されました。新地租は地券記載の地価を標準として賦課され、地券所有者(土地所有者)が納入することになりました。「福岡県地租改正御旨意書」に「銘々所持の田畑屋敷は勿論村中にあるところの土地はのこさずもらさず皆な反別を取調 子さかひをただし地引絵図にかきしるし、道溝池より山林に至るまで入狂ひ間違等一切無之子々孫々までも故障の起らぬ様になし其上地所の地券を授けたまひ、万一家内中不幸か打続て女子供になるよふなことあるも、どのよふなことあるとも外のわるものによこどりせらるることなく又金銀取引貸借にも地券をかき入証據にすれば、かしたをれもなく二重かりするものもなき様に相なり、つまり証據を所持せしめ、永く家徳を失ふ様のことなからしめ給ふところなり」とあります。
下は地券の写で、左が表面右は裏面です。
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明治十一年農村の基本調査として「土木調査」が実施されていますが、地租改正の検地によって地目別の面積その他の大体を把握できましたけれど、更に農業生産の基礎、土木経営の基礎を確把するための調査でした。当時の土木調査の一部及び土木改正日誌が残っていますので、それによりますと調査内容は地目別の面積及び河川・堤防・用悪水等にわたり、河川の部に川敷地・堤防延長・堤防状況・水刎数等。道路については村路・作道の延長を、用悪水については用悪水延長・埋樋・土橋・水門・水流伏石・石橋・掛樋・水門等が対象として調査されています。六月より九月に至る一〇〇日間を要した土木改正事業は地租改正につぐ大事業であったのです。
続いて十九年、三十六年同調査は重ねて行われ更に詳細正確な実態が把握されました。これらの資料から大城村の農業生産体制が整備していく過程がうかがわれます。
また明治十年には筑後地区の地誌編纂がすすめられ、大城村関係としては第十四大区小二区扱所に於て稲数・仁王丸・中島・千代島・塚島五ヶ村分の地誌草案が現存しています。これは福岡県地誌編纂の一端を示すものですが、この地誌草案によって当時の農村の状況を識ることができ又幾多の示唆も与えられます。
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