大正・昭和時代の農業

維新以来五十年間に於ける資本主義の巨大な発達は更に第一次世界大戦に当面して更に飛躍的な発展をとげました。 大戦中及び戦後の発展は実に未曾有のものでした。従って日清・日露戦役時代に近代工業の従属的地位に引下げられ た農業は今や決定的に従属的なものになりました。日本の農業生産は日露戦役後僅少のものに於ては著しく発達しま したが、多くのものについては停滞或は衰退傾向を現わしていますが、価格の面に於ては著しい騰貴を見ています。 耕地面積は全体として大正十年に最高に達して以来一進一退しつつも減少の傾向を示しています。農業戸数も大正 九年を境にジグザグに減少し、昭和以後増加しはじめました。個々の農産物の動きを見ると、大正八、九年に一応の最 高作付面積に達した小麦・甘藷・馬鈴薯の発達は第一次世界大戦の影響によるもので、それらは第二次世界大戦のと きも再び最高を示していますが、日本の農産物の作付面積は第一次世界大戦後にだいたい最高に達しています。米と 蔬菜および花卉などのみ昭和十年ごろまで発展し続けるだけです。
反当生産額も大正八年頃を頂点として以後は多く減少しています。
かくして日本の農業は未曾有の繁栄を来しましたが、この繁栄は必然的に農業の商品化の線に沿ってからのことでし た。今や農家は自家消費のためにのみ生産するのでなく、むしろ商品生産を中心とし市場を目的とする作物への転換 がなされるに至りました。養蚕に続く蔬菜園芸の隆盛は如実にこれを物語っています。

大正より昭和にかけて農作物の大転換が進み、農業経済の商業化はかなり著しいものとなりました。農業技術面に於 ける機械化、化学肥料の消費増大、品種の改良等はかかる時代的環境のもとに急速な発展を示しました。
昭和七年大城村勧業事務報告に「米麦増収改良ニ努メ副業トシテ蔬菜園芸養蚕、藁加工品等奨励ヲナシタリ。米麦共 生産検査ヲ奨励シ、品種統一品種ノ改良ヲ促シタリ。」とあるのによっても農業の商品化がうかがわれ養蚕業に続く 畑地の蔬菜栽培時代は戦中戦後にかけて急激に勃興し、漬菜・牛蒡・ほうれん草等遠く北九州地方へ販路を拡大しま した。農業恐慌を中心とする大正末期より昭和にかけての大城村の農業生産状況を次の表によってのぞいてみましょう。

 

米生産額及作付面積表
(大城村勧業統計)

年  次作付面積収 穫 高価  格単価
(石当)
大正14
369.9

9.906

337.794

35
昭和元369.99.941298.69030
2364.99.169223.03224
3364.99.090211.01424
4368.511.183279.56525
5383.911.479201.14818
6375.59.374132.06614
7383.011.404236.49321
8387.212.432239.89820
9399.312.186317.03726
10388.610.468323.46731
11389.012.205344.41628
12393.511.896381.68532
13390.712.551401.71832
14393.513.316550.27841
15392.58.507355.71142

麦生産額及作付面積表
(大城村勧業統計)

年  次作付面積収 穫 高価 格単価
(石当)
大正14
334.9

8.420

162.760

18
昭和元336.25.12178.59316
2322.05.85187.849 
3322.06.12682.34515
4328.76.19078.12013
5334.55.19164.62713
6334.11.81433.8317
7268.53.76015.2089
8240.21.62319.78111
9206.73.97648.96911
10214.44.15550.57811
11212.33.59763.47316
12223.71.12920.76618







 

主要蔬菜作付面積及生産額表(大城村勧業統計)

年次牛     蒡漬     菜里     芋
作付面積収穫高価格作付面積収穫高価格作付面積収穫高価格
大正14
3.0

12.000

3.000

1.8

4.500

900

7.0

22.400

4.480
昭和元4.014.0002.8002.05.0001.0008.024.0004.800
24.513.5002.7002.57.5001.5008.027.0004.860
35.615.0004.50010.035.0007.000
45.012.5003.7502.56.2509378.529.7505.950
55.012.5003.7502.06.0008009.028.8005.760
610.048.0008.1602.09.60067020.0100.00011.000
711.061.60010.4725.724.5101.71522.0107.80012.936
85.419.5903.9187.012.7161.6359.140.9795.327
104.216.1565.0164.822.3201.1167.631.7805.094
116.024.7887.6484.520.7003.1056.428.3275.382
125.924.4859.0550.94.1405006.630.0244.805
1712.241.7001.017.3 51.000


菜種作付面積及生産額表(大城村勧業統計)

年 次 作付面積 収穫高 価 格
大正14
42.0

386

6.408
昭和元36.03246.480
235.03154.725
330.03455.865
428.03085.852
527.02432.673
675.09379.370
797.51.46215.795
8117.01.11917.904
9122.92.29328.419
10119.71.93529.025
11139.12.11843.360
12119.51.90341.866
18110.03.990

次表「大城村生産物総価格一覧表」によってわかるように、主作物たる 米麦の価格の暴落底をついた昭和五十六年の農村恐慌を経過する農村の窮 乏は眼をおゝうものがあり、米麦につぐ作付面積の大きい菜種の暴落、 養蚕業の衰頽と相ついで決定的な打撃をうけた農村経済の破綻について は私どもの手痛いまでに体験したことです。農業資金の涸渇した農家の 家計の必迫は次の「農業所得と家計費の比率」(昭和十一、農家経済調 査)によって推測されますが、昭和十一年といえば景気好転の時代のこ とですから恐慌時代は更に深刻であったことがうかがわれます。

生産費を割る農産物価格〜農業所得を上廻る家計費〜この矛盾にさ いなまれた農村には都市よりの失業者群の流入現象をも呈し、農民の状 態をも悪化しました。小作争議の激増はこれを物語るものです。
労働者や農民の組織化に対する官憲の圧迫のために、 大衆のうっせきした不満は何らかの形で発散せざるを 得なくなり、一部には戦争による不況の打開に希望を 託するようになり、軍部を中心とする右翼侵略主義者 の味方になっていったのです。

小農維持を根幹とした政府も没落の渕にさまよう農 村の対策として、米価調節を目的とする米穀法を強化 改正し、自作農創設維持政策(大正九年)がとりあげ られ昭和元年より二十五ヶ年計画をもって約十二万町歩 の自作創設面積をかかげています。またたびたび立案 された小作法案はついに日の目を見ず、昭和十一年ようやく農地調整法とし て実施されました。

大城村生産物総価格一覧表(大城村勧業統計による)

年次農 産工 産水 産畜 産現在戸数一戸平均
生産価格
一人平均
生産価格
大正14
661.694

125.570

1.520

 ― 

788.743

619

789

219
昭和元470.513 94.7521.420 ―566.684629601157
2381.59885.5991.125 ―468.322628746128
3384.85763.640   ― ―448.497629713119
4466.10145.830   ― ―611.931629814134
5271.31532.5072.9908.021319.833610524 88
6285.37835.5292.4006.022329.329595587 89
7286.87247.5892.7006.941344.102608565 90
8273.82248.5072.3557.750332.434614546 95
9382.13450.4792.3557.168442.156612722119
10424.57729.710鉱産3.956423.529612692112
11461.64713.2505.1006.862470.344611769122


農業所得と家計費の比率(昭和11、農家経済調査)

  自 作 自小作 小 作 平 均
 農業所得A638 円533 円389 円520 円
 家計費B751 円751 円532 円634 円
 比率A/B85.0 %86.0 %73.1 %82.0 %

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