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    お 墓
   
  昭和十六年、杉の大っかつの内の一本が、北からの台風で倒れたたい。お墓の崖際じゃけ ん、うちから片付けて石垣なっとせんと、お墓のくずれ始むるじゃろけんち片付きうでちし たりゃ、神社総代から横槍が出たたい。共同墓地で、初手は区有財産じやったけん、その財 産ば神社があらかた引継いだつじゃけん、自分達が差し止むる権利のあるち云うこつたい。

  神社がお墓に何ち云うて干渉するか、ちお父っちゃまの云よんなさったりゃ、こんだ町内会 さん引継いで、町内会が出来んち云い出したたい。

  町内会に何ち云うて共同墓地に口出す権利があるか、おまけにうちは百七十年ばかり前から ここに葬むって来て、木ば植えたり、石段造ったり、ずうっとお墓ば管理してお守りして来 とっとじゃけん、いらん世話、ちまたお父っちゃまん突っぱねなさったけん、町内会の人達 の太田弁護士さんにお伺い立てげ行かっしゃったげなりゃ、土地の所有者が誰じゃろと昔か らその墓地ば、寝せ起しして来た事実があるなら、こりゃ他から口差し出すこつは出来んば い、ち太田さんの云うてじゃったげなけん、町内会も横車引っ込めらっしやったたい。

そっで、うちから杉の木は売り払うて、その杉の代金も含めて費用にして、其頃で三百円余 りで高良内の石垣屋さんに頼うで石垣して貰うとった。

そりから終戦後、杉が四本ながらだんだん枯れ始めて来たけん、こりゃ早よ切りのけて、石 垣ば全部したがよかろち云うこつで、恒が全部に石垣ばしたたい。そのうちまたお墓の土の 流れ落つるけんで、お墓どこの地面の上にコンクリート打って、コンクリート階段造ったつ たい。北側に生えとった松まで松喰虫に喰はれたけん、こりも切りのけたたい。

   そっで日当りはようなって見晴しゃようなったごたるばってん、初手の良さはいっちょんな かごつなった。目通りの四、五尺もあった杉てん松てん六、七本も枯れたり倒れたりで、外 にあった樫の木も失うなったけん。まあだ初手は上り口んにきに、一抱えちいわん山桜のあ って、お墓の上さん、こう手ば差し伸べて、一ぱい花の咲きよった頃はほーんに美しかった もんの。そりも大正の初めごろは枯れて仕舞うたけん。

  いまじゃ子供たちが、コンクリートの上でローラースケートてん、ままんご遊びてんしよ るげなが、ご先祖たちも賑やかになんなさっつろたい。


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