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    女学校入学
   
  御井高等小学校ば卒業して、女学校には人るこつになった。ばばさんな、そげん学校にば っかり行かんで、けいこごつどんして家んこつどん見習うて、早よ養婿どんせにゃち反対じ やったばってん、お父っつあんの、いまからは女子でんちゃんと学校に行っとかにゃいかん、 ち云うて女学校に入るるごつ細見校長先生たちと話して決めなさった。
女学校に行っとったけん、あたしゃほんによかったち思う。お父っつぁんのおかげたい。

  高等小学校出たもんな、いきなり女学校三年生に編入されよったたい。試験も何もなかも ん。
学校の出けてまあだ永うならんけん、細見先生達の目星つけたとこば、人学するごつ、 どんどんすすめてさるきよんなさる時じゃったけん。明治三十二年の春たい。

  佐々のあーしゃん(佐々あさみ、のち橋本)な第一回生でそん時卒業しなさったたい。女学 校は御井高等より遠うなるけん、三番目(櫛原町三丁目)の佐々に泊めて貰うてあすこから女 学校に行くごつした。

あーしゃんな卒業しなさったばってん、妹のよもしゃん(佐々よもぎ、のち中村)があたしと 一緒に女学校には入んなさったけん、勉強も一緒にしよったたい。土曜はうちさん帰って、 月曜には、うちから出て行きよった。ばってんやっば、うちから通う方が多かった。

うちから行ってうちさん帰るときゃ、おもと(乳母)が付いて来よった。おもとの親類てろ知 合てろの家が裁判所の近所にあったけん、そこであたしが帰って来っとば待っとりよった。 ちょいとした手仕事てん昼のお弁当どん持って。

  一回生は卒業してあったばってん、大方は前からの顔見知りじやったし、そりに先生と生 徒ちや、ほんに親しかったけん、卒業してん何彼ち云うちゃ、よう学校に見えよったけん、 みんな知っとった。

下級生も人数ん少なかったけん、お互よう知っとりよったたい。人学したとき、もとから おった者と、新らしう編入した者とはあんまり数のちがはじゃったごたった。
もとから おった者、編入した者ば一人おきに並べて、席順の決った。

吉武んお晴しゃんのおんなさったけん、あの横ならよかばってんち思よったりゃ、先生の 「真藤さんな、お晴しゃんの横さん行きなさい」ち云いなさったけん、よかったっち思うた。

黒岩万次郎先生が担任の先生じゃった。そげな風で編入されて、三年の始めは五十人宛ぐら いで二組あったばってん、卒業するときゃ半分になって四十八人の一組じゃった。

黒岩先生の「誰か一人落第すりゃよかったの、そすと四十七士でよかったつに」ち冗談云よ んなさった。ほんに中途退学の其頃は多かったもんの。


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