SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
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日清戦争の戦勝 | ||
日清戦争の仕舞えて、出征しとんなさった御井高等の中村先生の凱旋しなさったとき、久 留米にゃまーだ営所はなかった。 久留米駅までお迎いに出たもん。木の枝ばそれぞれ切って学校に持って行って、めんめん で紙で桜の花ば作ってその枝にひっつけて、そりば持ってお迎いに行ったたい。 先生は 熊本師団の本部附じやっつろ。 そっで汽車んなかにゃ軍楽隊の乗っとって汽車のとまっとるあいだ中、「あな、うれし、よ ろこばし、戦勝ちぬ、我国に、我国に刃向う者は、かくのごと、打ちすてん、いまよりのち も」ち云う軍歌のあったっば、ブンガラガッチャン、ブンガラガッチャンち鳴らさっしゃる もん、こげな音楽聞いたこつぁ、生れて初めてじゃもんじゃけん、どうゆう面白かこつじゃ ろかち思うて聞きよった。 誰でん、面白かったつじゃろ、そののちブンガラガッチャンの真似がそうにはやった。汽車 はいっとき止って、中村先生たち何人かが久留米で降りなさって熊本さんたった。 その頃はどこかが落ちたち云うと万歳々々ち云うて、町の中ば練って廻ったり、作り物の出 来たり、芝居したり、学校からでん花の枝もって出迎いてん、見物てんに行きよったたい。 その頃、恵比須座で、日清戦争の芝居のあった。見げ行ったりや、こうした着物ば着たつが 出て来て、「欽差大臣袁世凱」ち云うて、大見え切ったっば覚えとるたい。 その頃は"日清談判破裂して、品川乗り出す吾妻艦、続いて金剛、浪華艦"てろん"一里半行 きゃ北京城、大々愉快、大愉快、欽舞、欽舞、"ち云う歌ば、学校ででん何でん、どんどん歌 よった。 |