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    修学旅行
   
  卒業する前に修学旅行に連れて行って下さいち、みんなでそうに頼うだばってん、とうと うどーこん連れて行きなさらじゃった。

  そりが第一回生の時修学旅行に船小屋に、先生生徒みんなが一泊で行ったげなりゃ、何せ 女学生の一泊旅行ち其頃初めてじゃけんで、新聞記者どんが、どんどん書き立てて、先生が 生徒にお酌させたてん何てん、すらごつばっかり書いたげなけん、問題なって大ごっじやっ たげなたい。
そっで其あおりで、あたしどんなどーこん連れて行きなさらじゃったったい。

  遠足ち云うと一ぺん正源寺にどん行ったこつのあるだけじゃった。そっでどこかに行こう ごつしてならんもんじゃけん、福岡にみんなで行こじゃんの、ち計画立てて、卒業したあと で土岐先生ば引張り出すこつにして、先生も来るち云いなさったげなけん、みんな久留米の 駅に行って先生ばまっとるばってん、いつ迄たってん来なさらんもん。そりから誰かが先生 ば呼び行ったりゃ、先生の自分のとこさん来なさいちげなばいち云うて戻って来たけん、み んなで先生ん方さん行ったたい。

福岡にゃ行かんけん高良山になっとん参うち云うこつになった。そっでみんな高良山に参っ たたい。高良川から千本杉さん通って行った。帰りがけに高良川んあたりば、がやがや云う て来よったりゃ、よその洗濯物のこう干してあるもん。赤腰巻てんのあって、そりが強か春 風でひらひらしよっとば見て、あたしがどうした風の吹き廻しじやったじゃり、大っか声で "風にひらめく赤湯文字"ち"風にひらめく連隊旗"ち云う軍歌の節で歌うたもんじゃけんみん ながワァワァ云うて大笑いしたもん。

かねてそげな歌だん、いっちょん歌いもせん、クソまじめんこたるあたしが、ひょいと歌い 出すもんじゃけん、よっぽとおかしかっつろたい。戦時中、ヨシが名古屋におった頃、四十 何年振りかに四日市におんなさった土岐先生ばおたずねして、お目にかかった時、そん時の こつば先生のちゃーんと覚えとんなさって向うから、こげんじゃったのうち笑うて話しなさっ たたい。

  一ぺん連れて行って貰うた正源寺の遠足はお弁当もお握りごはんぱっかりぐらいなもんじ やっつろ。

  生花のお花もいまんごつちゃーんとしたつんなかもんじゃけん、お花取りち学校から野て ん山てんに出て行きよった。
一ぺんお花取りにも正源寺に来たこつんあって、その帰り四、 五人連れてうちさん帰って、そうこうしよったりゃ、もう夕方になって「今から帰りょんな さっと暗うなるけん、お嬢さん方ばそげん遅うお返しするわけにゃいかんけん」ち云うて、 うちに泊むるこつにして「こげなふうで、お泊めしますけん」ち男ばそれぞれんうちに走ら せたこつもあったたい。
赤松んナッちゃん、郡のおもとしゃん、下坂んおうめしゃん、 まあだほかの人もあったごたった。

  卒業した年頃に、日本女子大学のでけて、大分東京さん行って上の学校に入って女子大に も何人でん行ってじやったばってん、ボロボロやめて仕舞うて卒業した者な少なかった。お うめしゃんな、裁縫の専門学校、おかめしゃんな女医学校、あたしも行きたかったばってん、 とうとうばばさんの反対しなさるし、うちもだんだん左前になって来とるもんじゃけん是非 ちゃ云いきらじゃったたい。

無理云や行けんこつもなかったばってん、あたしが引込思案すぎたったい。そん時思い切っ て行っとったなら、習いたかこつも習われとったうに、貧乏した時の方法も立っつろにち思 うたい。何でんやっぱ思うたこつは思い切ってしとかんといかんの。
そげんしみじみ思うとっ たけん、恒が高等学校てん上ん学校に行く時も、アヤが絵ば描くとも、とても上ん学校に行っ たり絵ば描いたりする段じゃなかったばってん、何とかして思うたこっぱさせたかったたい。


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