SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語 


    お稽古ごと
   
  お花の稽古は稲益に行きよった。酢屋ち云よったが、稲益は布屋の家におんなさった。奥 さんが布屋から来とんなさるか何かで、子供なしじやったこたったが、酢屋の長さんち云よ んなさったが、長から先は何ち云うとか知らじゃった。

学校卒業しても、そこにお花習いに行きよったが、先生の死んなさった。あたしが習い事す ると、その先生のよう死んなさるけん何でん稽古ごつが中途半端になって仕舞うもん。
大体が年寄りの先生からばかり習うけんじやっつろばってん、うちが稽古ごつの先生でん、 だりゃいらんにゃ習いやらされんち云いなさるもんじゃけん、自然先生のあってん習い行く 先生はあんまり無かごたるもんじやったたい。
流儀は東山流ち云うとじやった。久留米 藩だけにあった流儀ち云うこつじやった。

  竹へご(ひご)ば木の向側にゆいつけて花器に立ちょったが、竹へごがなかなか云うこつ聞 かんもんじゃけん、ほんにおおごつじゃった。みんながそれぞれ活けたつに先生の位ばつき ょんなさりよった。吉野山ち云う位が一番よかつじゃった。花数が多して大ごつじゃけん、 あたしどんないっちょん好かじゃった。

そう云うこつからじゃろか、この流儀はあんまりはやらじゃった。お花はめいめいで、野て ん山てんに行って取って来たり、買うたりもしよったばってん、今んごつ何でん揃うお花屋 てん何てんな無かったもん。

うちには何じゃり庭に生い茂っとったけん、そげんとどん折って、よう持って行きよったたい。
郡(こおり)のおもとしゃん方の外に、もう一軒郡ち日古町にあったもん紺屋町ばずうっと東 の方さん行くと通がT字形になってその三ッ角の南西角が郡じゃったたい。

みとさんち云う人ん方で裏の畑が広して、花どん色々作りよんなさったけん、そこに買いに 行きよったたい。おもとしゃんの姉さんな、久留米一番の髪結さんち云よった。
おたか しゃんち云よんなさった。

あたしもお父っつあんの市病院に入院しとんなさって、病院に泊ったりした時、おたかしゃ んに結うて貰よった。市病院から近かったけんで。

  薙刀は加藤田さんち荘島の先生に女学校のときから習い行きよったばってん、学校卒業し て、わざわざ庄島まで出て行くとのおおごつになったけん、いつ頃からじゃったか、自分の 方からやめた。

  吉岡先生ち云うお茶の先生も死んなさった。死んなさってん、その跡は教えよんなさった 先生のあったけん、行きゃよかばってん、誰ゃいらんには、どうじゃんこうじゃんで苦情の 出るもんじゃけん行くとこのなかごつなるとたい。お茶は小学校の頃から習よったばってん。

  土曜の夕方から泊り込みで富士松紫幸(古賀城武)が来て日曜までも教えて行くもんじゃけ ん、勉強でんほかん習いごつでん、よう出来じゃった。この人は三味線と琴ば数ゆっとたい。

  山本、吉武、うち、ち云うごつ、山本の親類縁家の者にゃたいがい教えよったたい。富士松 流で、のち東京さん出て、今でんその裔(あと)は、琴、三味線の先生でよかげなたい。

  紫幸はいつでん人力車(くるま)でじゃった。土曜の夕方そのくるまが、門の内さん這入っ て、門と家までの間がちっと登りなっとっとの仕舞のとこに、平たか切石ば敷いてあるとに 輪が乗りあぐっと、ゴトゴトン、ち音のすったい。其音のお茶の間に居っとようきこえよっ たけん、その音のするたび、あーあ又か、ち初から力の抜けよった。

音楽すかんわけじゃなかったばってん。何せ、前ん日の夕方から教え、翌朝から教えで、ちょ いと十分ばっかり休うぢゃ教え教えで日曜の四時頃帰るとじゃけん、学校の勉強もでけんし、 苦になりよった。

弾き込みの足らんけん、すぐー忘るるもん。そすと「吉武のお晴しゃまは忘れなさらん」 ちあたしば叱って、こんだ、お晴しゃんには、「ミチヨしゃまは直ぐ覚えなさる、ああたは覚 えなさらん」ち叱るげなもん。あっちこっち云うて、あたしどんば、だましすかしして教ゆ っとも大事じゃっつろ。

お祖父っつあんなそりばってん孫にそげんとば覚えさしゅうち思よんなさったじゃろ、あた しが歌い初むっと、ずーっと手帳に書きつけよんなさった。おさらえすっとに役立っごつち。 あたしゃ、覚えは早やかばってん、稽古せんけんすぐ忘るるもん。

本気でそげんとに打込もち思はんもんじゃけん。もともと、田舎のけんでんあっつろが、七 ッ八ッ頃迄も稽古せずおるもんじゃけん、山本から、稽古させなさるもんなら早よ始めなさ らんと、遅そなるばいちお話しんあったげなけんで、始めたっじやったげな。
山本んお 方達ちゃ、もうずっと前から始めとんなさったけん、いっしょ頃から始めたお晴しゃんと、 あたしゃ、ごーほん山本んお方達より遅れとった。

初手は、上方の方から役者のよかつの下って来ると、山本はよう招うで、あのお方達に、お どりてん教えてもらよんなさったけん、ほんに、おみきしゃんでん、おまきしゃんでん、年 寄んなさってからでん、琴三味線、おどり、ようわすれもせんで、上手にしよんなさったたい。

  初手は、ほかの先生は先生ち云よったばってん、琴てん、三味線てん、遊芸の先生は先生 ち云はんで、師匠ち云うて、出入あつかいじやった。今は、そげなこつどこじゃなかばって ん。

  紫幸は目のよう見えじゃった。全然見えんとじゃなかばってん、時計どん持って懐からち よいと出して、こうすかして見よった。どうやらわかるらしかった。


前のお話へ  戻る      次へ  次のお話へ