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婦人協会のこと | ||
婦人協会、ち云うて星野フサさんが主(おも)だって、久留米んにきのその頃のまあイン テリのこたる奥さんてんお嬢さんてんの会のありよったたい。其頃、市の上の人でアメリカ に久しう行って帰って来とんなさった西村さんち云う人の、よう婦人協会で英会話、ち云う たっちゃまあ「オープン、ザ、ドアー」位なこつじゃったが教えたり、営所にも教えに、行 きよんなさった。 営所はもちっと程度の高かつば教えよんなさっつろがの…。お菓子てんアイスクリームの作 り方てん、洋食の作り方、食べ方のお作法てん、そげなこつば色々教えに来よんなさった。 アイスクリームの作り方も、今んごつしゃれたもんななかもんじゃけん、お茶缶に西瓜の しぼり汁てん、牛乳、お砂糖、どん入れたつば、桶かバケツかに氷に塩ばまぜて入れたなか に突込んで、手でグルグル廻すとたい。 そりば習うたとき、ちょうどお父っつあんの病気で休んどんなさる頃じゃったけん、作って 上げたりゃ、ちーった柔かったばってん、ほーんに美味しかったけん、お父っつあんのおい しかったち喜びなさった。 その頃はアイスクリームてん久留米へんで、食びゅうち云う たっちゃなかったもん。珍らしかったけん、よけいおいしかっつろたい。 いつか食べ方のお作法習うたときゃ、ちょうど半井さんの山口に御縁の決まっとったもん じゃけん、みんながわざと、それぞれの席に名札ば置くとに、半井何さんち書かず、山口夫 人ち書いたつば席につけたりして、わるさしたこつのあった。 半井さんもそんときは立派に 島田どん結うて見えとったもん。 ちょうど日露戦争の頃、じゃけん、婦人協会で色々のこつして、その益金ば献金しよった たい。小頭町の恵比須座てん、今町にあった劇場てんでよう歌い手、講釈師、軍談師てん呼 うで来ては興行しよったたい。 劇場内でお菓子てん売るともみんな協会の者がして、そっで上げた儲けも一しょう懸命献金 しよった。 いつか何かの都合で次の催物との間の時間の大分すくごつなったもん。 そげんお客さんばぽかーんち待たせとくわけにもいかんけんで、どうしゅうかち云よったりゃ、 その頃流行しよった活人画ばしゅうち云うこつになって、あたで活人画で、二日間聞二回の穴 ふさぎの出けたたい。 権藤のかおるしゃん(坂本繁二郎夫人)達の出なさったたい。かおるしゃんな、えぼしかぶっ て、こーした狩衣のこたっと着て、姿のスマートじゃけんなかなかよかったばい。 ほんとは姉さんのかつしゃんが出なさるはずじやったばってん、かつしゃんな、あげなこつ に出るとば好きなさらじやつたけん、まーだ女学校の三年生のかおるしゃんが出されな さったっげなたい。身代りに。そんとき山本のおまきしゃんがお姫さんで琴弾き役じゃっ たげな。 今町劇場ちゃ、今の田中うなぎ屋の近くじやった。田中の前あたりから久留米駅の東南か ら眼鏡(めがね)橋ば越えて、ずーっと白鳥さん(白鳥神社)の方さん低うなった田じゃったば い。今町のあすこ辺な南側は田で片側町じゃったたい。 いつか大雨で水の出た時、山本から、おまきしゃんてん、お晴しゃんてん一緒につんのう て瀬の下の吉武までお月さんの出とる夜、歩いて行ったりゃ、今町んにきから白鳥さん辺ま で、湖んごつ水の拡がってそれにお月さんのうつってほんに美しかもん。いつでんこげんな らよかばってんち云うて行ったこつんあった。田の作り主にゃ罪な話ばってん。 |