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    菓 子
   
  あたしどんが子供のときのお菓子ちゃほんに何にん無かったたい。ふだん人どんが来た時出 すとに、お菓子ん無かごたっ時にゃ、紙てんお皿に白砂糖どんちょいと盛って、さじ代りに 柴ん葉どん添えて出しよったたい。たいがいどこでん、そげんしよった。ああた達ん子供ん 時ごろまでそげなふうの残っとっつろがの。

  まあお菓子ちゃ、普通ハチヤマち云うて、木の葉てん花てんの形に、米の粉ばふくらませ て、作った干菓子に色どんつけてお砂糖のリンどんかけた一寸か、一寸五分位の大きさのつ てん、吹きよせち云うて、そりも米ん粉じゃっつろか、丸うふくらかして色つけて、お砂糖 リンかけたつたい。

うちにゃそげなハチヤマてん、吹きよせてんば、大っか上野焼のつぼの、三っ四っあるとに、 一杯人れて、お茶の間の梯子段の下の地袋に入れてありょった。お医者さん、安元さんたい。 あの人のよそでの話げなもん、「真藤さんに行くと、おんばさんのコトーンコトン云わせて、 お茶菓子にふきよせどん持ってこらす」ち云よんなさったげなが、お茶菓子ち云うてん、あ たしが子供ん時まぢゃそん位のこっじゃったたい。

  千代結びち云うともありよった。砂糖菓子で丸う紐のごつのばしたつの紅と白ば撚り合せ たつば、結ひ切りにしてあるとたい。もとは花嫁さんがお客に挨拶にお茶出す時に、その千 代結ば、お茶にそえて出しょったたい。

  肉桂汁はどこでんお祭の夜店てん駄菓子屋てんに必ず小まか硝子瓶にどん入れて出とりょ った。肉桂汁ば浸ませた肉桂紙もありょったばってん、あたしゃあんまり買はじやった。
村内に肉桂の木の何本かあって、子供達が木の幹てん根方の皮ばはいで食ぶるもんじゃけん、 鶴吉さん方の肉桂だん、竹へこば編うで、大人ん手も、とどかんくらいの高さに幹ば巻いて あったたい。木の枯れんごつ。うちにもあつたが大風で倒れたけん、幹てん枝てん根ば下ん 段の倉に入れてあったけん、子供の頃からようかじりょったが、ああた達の子供の頃迄あっ て噛じりょったたい。大分大っか幹じゃったもんの。

  綿菓子はずぅっと後じゃん。いつか山本に行って始めて見たたい。綿菓子ゃ出たはな珍ら しかもんじゃけん、こりゃお土産にどんよかろうち云うて、お重に一杯買わせて置いときなさ ったげな。いざ持って行こ、ち云うてちょいと蓋ば開けて見なさったげなりゃ、ペシャーッ としゃげて仕舞うて何にん無かごつ少のうなっとるげなもん、あたしが女学校卒業してからの 話たい。

  羊羹、饅頭、落雁、生菓子、てんな、お祝い事か御仏事でばしながからにゃちょいとふだ んな無かったもん。町のお菓子屋へんにゃあっつろばってん。

  殿様の御用菓子屋は両替町に翠屋(みどりや)ちあったっと、通町の松屋じゃったたい。松 屋は本村ち云うたい。分家か本家か知らんばってん絣屋も本村ち云よった。そげな、御用菓 子屋にゃ良かお菓子どんがありよっつろばってん、一般なそげなもんにゃ御縁が無かもんじ ゃけん、そげな干菓子にリンかけたつてん、飴がたてん、せんぺどんなありよったたい。何 か茶屋んごたるとこにだん、草餅てん、串貫き団子どんがありよった。

  あたしどんが子供ん頃、竹ひごの細かつの先に、赤てん白てんのこーまか飴玉ばつけたつ ば、浅か小桶に一杯入れて、頭に載せて、うちわ太鼓ばトントコトントコ叩きながら飴売が よー廻って来よった。トントコ音のすると、あっちこっちの藪ん中ん家から子供どんが集っ て来て、飴ば買よった。買うと飴売がトントコ云わせながら歌うとうて踊って見するもんじ ゃけん、子供だん飴しゃぶりなから後からぞろぞろついて廻りよった。

  あたしゃおばやいから、「あげんとはきたなかけん、買うてん何てん云いなさっちゃならん、 お菓子やうちにちゃーんと買うてあるけん」ち、しっかり止められとつたけん、買うちゃ云 よらじゃったばってん、歌うとうて踊っとが面白してならんもんじゃけん、みんなといっし ょに、いつまっちゃなし、飴売の後についてさるきよったたい。

  そりから飴細工屋もよー来よった、大びんに荷ばいのうて来るもん、高皇宮てん、清水辺 に荷おろして、管篠(くだじの)の先にちょいとぬくめた飴ばひっつけて、ぷーっち、吹きな がら指先で飴のふくれて行くとば、引張り引張りしよるうち、ちゃーんと鶏てん鳩てんの出 来上るたい。それに赤てん青てん色ば筆でチョイチョイちつけよった。

こりも「おしっこした手ば洗いもせんで食べ物ばせせったりしてきたなか、あげんと食ぶる と病気するけん買うちゃならん」ち、おっ母さんからとめられとったけん買おちゃ思はじゃっ たばってん、見る見るうちに鳥てん何てんの出け上っとの面白してこたえんもんじゃけんこ り又いつまででん前に立って見よったたい。

  こりゃお菓子じゃなかばってん、土の素焼の鳩笛ば、ほーほーち吹いて"箱崎八幡さんの鳩 どま一銭"ち節つけて歌うて来る土笛売りのおやじさんが居ったたい。鳩笛はよう買うてもろ て、ぼーぼーち吹いて遊びよった。

  赤土の素焼に赤てん青てんで羽根ばパッパッとちょいと描いてありょった。あの土笛売りの ぢいさんな年よってから迄もよう清水のにきに売りに来よった、ああた達が、四ッ五ッ頃ま でも。

  明治三十年代に入って営所が出来たりで、段々開けて来てお菓子も色々出るごつなった。 そりばってんこの辺じゃお客に出すごたる物な、出ちゃ居らじゃった。後に土勘ち細工町に あったお菓子屋から、煎餅にマルボーロてん、あすこで作るお菓子ば見本箱に入れて番頭さ んどんか注文取りに持って来るごつなったけん、こりとこりば呉れち云うと持って来よった たい。
恒が乳ばなれのころ、土勘の丸ボーロ食べさせよったりゃ、いつか品切れしたけん、 その辺の丸ボーロんごたるおとし焼ば食べさせたりゃ、子供でん味のよし悪しんわかったじ ゃろたい。ホン投げてすねくれたたい。

  その営所の出けたこつで国分は、お菓子製造てん、パン屋てん養豚業てんが始まったたい。 営所の出けはなは、営所の炊事てんも大まんげなこつらしかった風で、ほーんに残飯の出け よったげな、手もつけん釜に入ったなりの残飯てんが。そげんとは商人が買い受けて、川原 辺に持って来て、村ん者に売りょったたい。ほーんに安かげなもんじゃけん、おひつてん、 御飯じようけてん持って人の買い行きよっとばよー見掛けよったが、そっで持ち出したち人 の云う家の何軒もあったたい。

  その次ぐらいの残飯は、よーと洗うて、莚てんにひろげて干し上げて、おこし、の地ば造 って、おこしや始めた人のあって、ほんにもうけたげな、始め肥前の方から移って来て、浦 川原で始めて、後にゃ谷さん来てじゃったたい。おこしにもならん残飯な、こり又肥前から 来た人が、飼料にして、養豚始めて、こりも、もうけ出さっしゃったたい。

  明治の終りじゃっつろか、大正になってからじゃっつろか、通町の、あの松屋から、営所 の前通りの山王さんのすぐ北側に、バンてん、アンパン、堅パン、てんば造る工場ば建てて、 営所納めが始まったたい。そげなもんな、まあだ珍らしかったけん、上郡に行く時やようお 土産に持って行きよったが、ほー営所納めのアンパンげなち云うて、珍らしがりょんなさっ た。後にゃもちっと営門に近かとこの北側さん移転してござったが大正十年すぎた頃迄でや んだたい。


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