SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語


    競 馬
   
  今の医学部ん出けとっとこが競馬場のあった跡たい。あたしどんが学校に行きよった時ま で、まあだちょこちょこ地の競馬んありよった。村内にも競馬好きの居って、トーゼ(藤左衛 門)さんの息子の熊ぢいさんば、競馬熊ちゃんち云よった。よか百姓じゃったばってん、そっ で無うなして仕舞うた。兄弟何人もあったばってん、めいめい、色々なこつが好きで渾名ば っかりつけられとった。初手はちょいとしたこつば取り立てちゃすぐ渾名ばっかりつけよっ た。そりしこ世間がのん気じゃったつじゃろの。

  うちにゃ、作馬と乗馬と二匹おった。競馬に行くと作馬が勝って来て、乗馬はいっちょん 勝たじゃった。乗馬置くと別当まで置かにゃんけん大ごつじゃけん、自転車になったったい。、 作馬が勝って来ると赤ケットの両端に、十糎ばっかりの黒の幅広か筋の二本づつは入っとっ とば、よう貰て来よった。あたしも時々うちん馬ん出るけん、おもとに負われて、お弁当ど んもって、出入の者てん村内んもんてんと競馬見物に行きよったたい。そして帰って来ると、 競馬ん真似して、カンカン、ヤーイ、カケター、ち云よった。まあだこーまか時じゃん。競 馬に出す前にゃ男達が大ごつして、ひらくちの、干ぼかし、ば食べさせたり、人蔘食べさせ たりしよった。

  馬匹会社の馬が、子馬産むけんで、うちさん連れて来てあった。
  親馬は、ほーんに大きぅして美しかもん。白地に、ねずみ色んごたる連銭模様のあってく さい。アメリカ生れで系図もっとった。生れた子馬は、親に似た模様じゃったが、親んしこ 美しうはなかった。足の爪のにきに白毛んあって、そりが何かいわくのあるちゅうこつで、 後には乗り馬にゃ何とかち云うて、馬車馬にどんなっとったげな。

  子馬は生るるとすぐ立ち上るげなたい。裏の広かとこに、親子出してやると、喜こうで子 馬が親のまわりば、グルグル廻って走るもん、余り調子に乗って、スペーッち滑って転うだ りすると、親が心配そうな顔して見よった。オナラば、プップップッ、ち出しながら走るも ん、ほんに面白かりよった。ちっと大きうなって、高良川ん端の竹藪の中に空地のあって、 何も植えてなかったけん、そこさん親子連れて行って置いとくと、夕方にどんなって退屈す ると、親子づれで自分達だけで帰って来よった。カッポカッポ云はせて。

  乗馬はもうおらじゃったばってん、乗馬小屋は、親子馬には狭かけん、作馬ば下ん段の倉 のそばに、小屋作って人れて、表の今迄の作馬小屋に入れてあった。

  毎日男達がその良か馬達にお湯つかわせよると、作馬が下ん段の小屋から、こー首長う出 して見よるもん。よか女がお湯つかよるけん、ありがあげん横目使うて見よるち男達が笑よ った。ほーんに美しか馬じゃった。あげん美しか馬は見たこつがなか。

  子馬が、どこさんか連れて行かるるときゃほんに悲しかった。親馬がヒヒーンちなくと、 子馬がヒヒーンちないて、お互い姿ん見えんごっなったっちゃ、声の聞こゆる聞は、ヒヒー ン、ヒヒーンち、親、子、なき交して行った。誰でん「ほんに、こげんとどんものー」ち云 よった。其後、あたしが学校に行っておらん留守に、子馬が一辺連れて来られたげながやっ ぱチャーンと親子おぼえとって、そん時もそげん啼き交して別れて行ったげな。そののち親 馬もどこさんか連れて行かれた。


前のお話へ  戻る      次へ  次のお話へ