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  "家じらみ"ちゃほんに大っかっの何匹でんおったたい。倉てん何てんあって藪の多かもん じゃけん、その内にもほーんに大っかつのおったもんの。長さは、一間とはいわじゃった。 測ったこつじゃなかばってん、一間半位もあっつろか、大人の手首くらいも太かとこはあり ょった。尾がドポーッとしたふうで、青灰色に、ところどころ白かごたる鱗の絣んごつ交っ とった。いつかだん、土間に置いとった、かまぎの上にどん出とったこつのあったたい。
よう表の道にどん出とっと近所ん子供達が、ヤーイ真藤さんのくちなわん出とるぞーち云う て騒ぎよったが、誰りん殺そうでちしたりゃしゃおらじゃった。

  西隣ん勇夫さんてん、福田ん勇夫さんてんも見たち云う話しさっしゃるたい。いつか、作 小屋ん横の木に、今じゃよか爺っちゃんばってん、その当時は、わんぱくさんどんが登って、 ちょいと気のついたげなりゃその屋じらみの大っかつも上っとるげなもん。ヤー大蛇んおる ち云うて、ガタガタふるえてさすがのわんぱく連中が落つるごつして、逃げ出して来たら、 勇しゃんのよう笑うて話ござった。

  あげんとどんが、どげんどんなったもんじゃりのー。作小屋解いた時、小屋のつしにおっ たてろち仕事しよった女達が悲鳴上げたこつのあったがのー。

  鉱山から鉱夫の熊ちゃんが来とったとき、ああた達が一緒に下ん段の楠に巻きついとるか づらに、小まか白蛇の上りついとっとば蝉取りのトリモチ竿でひっつけたりゃ、草の中さん 落ちて、行方んわからんごつなったち云よったっはくさい、下ん段の西側の家がまあだ福ち ゃん方じやった頃、福ちゃんがどこかに車引いて行ったげなりゃ、その荷の中にちゃーんと あんまり大きぅなか白蛇の入っとったてろち云うて、大評判で、いつかだん見世物師が、借 りに来ばししたじゃろ、白蛇ち云うて、おやぢさんが車引いたなり、びっくりして、腰抜か しとっとに荷の上に大っか白大蛇が鎌首持ち上げとる看板絵どんが出て、見世物にどんなし たこつんあったたい。

のちに、そりば小まか石の祠に入れて、弁天さんち云うて祀っとるちじゃったが、最初の白 蛇じやったか、そりが子孫どんじやったか、大体あげんとは何年だん生きとるもんじゃろかの。

  初手は、そこの隈山にもかなり大っかつのおりょったふうで、あたしどんが子供の頃話き きよったつに、今競輪場になっとるとこのすぐ北側に、御家老さんの岸さんのお墓のあろが の、あのお墓に、太か松どんがなげなげかけてあるたいち思うて、ちょいと腰掛けたげなり ゃ、ひやーっとして、ぞろぞろーつち動き出したけんびーっくりして、飛び上って逃げ出し たげなたい。野中の薪取りの女じゃったげなち。

大正の始め頃じゃったか、川原のその頃はもう「森新」の藪に成っとった藪辺にも山から川 渡って出て来よったもんじゃり、いっか夕方東の茂平次さんがえの誰かじゃなかっつろうか、 馬ば高良川に洗い行きよったりゃ、あの藪にさしかかったところ、馬がどげん、シイシイち 追うたっちゃ、ぎすとん前さん進まんげなもん。
妙なこつち前ん方の道ば見たげなりゃ、大きなもんが道の中程まで首ば長う出しとるげなもん。

  そっでそんなり引返して来たてろち云うごたるこつじやったが、昭和の始頃迄はやっぱ大 っかつの居りよった様子で隣の松次さんの、うち辺のお墓山と、もいっちょ向うのお墓山と の間の山ん田ば作りごさった頃、よう、稲てん麦てんば押したおして、ありたちの匍うて行 った跡のあるばいち話しござったたい。

  大蛇ち云やくさい。大正九年か十年頃の夏じゃっつろかの、お父っちゃまのまあだ鉱山じ ゃ何じゃち云よんなさった頃たい。九佳山の南方に硫黄の出る山のあるてろで、山ブローカ ーんごたる人達と見に行きなさったたい。連れから一足遅れて一人で行きよんなさったりゃ、 何じゃり道まちがえたかのーち思よんなさったげなりゃ、茅てん何てんのこう押し倒されと るげなけん、やっぱここ通って、あの人達が先に行ったつじゃろち思うて、さっさとその倒 れとる跡ば伝うて行って、ひょいと上の方ば見なさったりゃ、岩があって、岩の上にこうふ り返ったごつして鎌首持ち上げて、大蛇がお父っちゃまん方ば見よるげなたい。

びーっくりしなさったりゃ、大蛇がスーッと首さげて追うて来るごたる様子に見えたてろち、 そっで、お父っちゃまは、あの大っか身体で、どんどん茅てん何てんの中ばころがるごっし て逃げ下って来なさったげな。その谷が目的地じゃったふうで、先に行った人達てん、村ん 人達がござったげなたい。

「どうしなさったの、そげんフーフー云うて青か顔して」ちみんなが云はっしゃるげなもん。 こげんして、大蛇んおって、何じゃり追いかけて来たごたったち云いなさったげなりゃ、村 ん人達が、「ありゃーどーんせん、ああたん見なさったつは、小まか方じゃろ、もう一匹大っ かつのおる」ち云うこつじゃったげなたい。あんまり走って、大っか革財布ばふところに入 れとんなさったつば、いっどん落ちたじゃりわからんごつ、そん時落しなさったげなたい。 お金はなーにん入っちゃおらじゃったばってん。

  お父っちゃまは、五六間ぐらいしか大蛇とは離れちゃおらじゃった。おりが手首んごたる 頭しとったち云いよんなさったが、えすかったけん大きう見えたかも知れんばってん、やっ ぱ大っかつのおるとじゃろ。何時かその後、豊後の辺の山火事にあったとき、二、三、間て ろある大蛇の焼けがらのあったち新聞に出たこつのあったけん、父っちゃまの「そーらやっ ぱ大っかつのおろがない」ち云いよんなさったたい。

  こりもここの話じゃなし豊後の話ばってん、福間山の方にも大っかつの居るち、青木のお 父っつぁんの話しなさったこつのあった。そりゃ長さはみじかかげなが胴廻りが大きうして、 そりが早よ、ほうて来る時ゃ、ゴロゴロ転うで来るごつ見ゆるけん、其辺の者んなゴロち渾 名つけとったげなたい。そりが通った跡は、まるで四斗樽ころがしたごつ茅てん何てんの倒 れとるちお父っつぁんの云よんなさった。


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