SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
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この辺の言葉 | ||
ほんにこの辺も何でん変って仕舞うたが、言葉もほんに変って仕舞うた。 いまだん誰りん使いもせんが、この辺の村の者たちゃ、息子んこつば、おやぢさんたちゃ「う ちんバブーが」ち云よった。兄のこつば、バンタン、姉のこつばアンチャン、嫁ごさんのこ つば、オカッツァンち云よった。 バンタンちゃ面白か話のあるもんの、あたしとあんまり年の違わん男ん子がおったもん、 そりが舌足らずち云うとじゃろ、よう言葉が出らんもん。のち、大人になってからは当り前 に話しよったが……。 大方自分方に、うどんか、そーめんかどんが出来たときじゃうたい。この男ん子の云うこ つが「バンタンヤイ、ゾロッバ、フワンカ、ワガフワンナラ、オッ、ト、オッタンデ、フテ、 シマウゼ、」(兄さん、ぞろりば食わんか、わが食わんなら、俺と、オツルサンで、食うて仕 舞うぜ)ち云うたちみんなが口真似して笑い話しにして仕舞うとったたい。 初手はくさい、何さんち云うこつば、何タンち、よー云よったたい。甚吉さんば甚タン、 作太郎さんば作タンち、男にばかりじゃ無し、おせのさんのこつばおせタン、初さんのこつ ばハツタンち云うごたるこつじゃったたい。 昔しゃ親のこつば、ツツさん、カカさん、トトしゃん、トッチャン、カカシャン、ち云よ ったたい。オトッツァン、オッカサン、ちゃ身分のある者しか使よらじゃったけん、一般の 者が「オトッツァン、オッカサン」ちどん云うと、似合わん云い方ち云うて、かえって笑わ れよったたい。 初手の方言な、住んどる場所が道一筋ちこうてん別な言葉じやったげなたい。長門石ん向 うん方ぢゃ、道はそうだ向え同志で、肥前分な「ナンショルカンター」筑後分な「ドウショ ルケーてん「ドウションノー ち云よったげなもん。同じ筑後でん、上郡言葉、両郡言葉、 上妻、下妻、下がた(三潴)ちうごついろいろで、そりが一郡の中でん、北の方南の方ぢゃも う違うとりょった風じゃん。 階級別で又ほーんに違うとったらしうして……。久留米の同じ家中でん、お城内、京ノ隈、 庄島、それぞれの場所で違うとる言葉んあったげなたい。女学校で同じ組じゃった、稲次の ミエしゃん、吉田のおマキしゃんな、元御番頭で、御家老さんに次ぐ格式のあるうちじゃっ たけんで、両親のこつば、テテしゃま、タタしゃまち云よんなさった。二人だけで話しよん なさる時は、あたしどんが言葉使いと違う言葉使いじゃったたい。 二人がお互い名ば云いなさるときも、ミエしゃま、マキしゃまち丁寧な言葉じゃった。あた しどんな、来なさったこつば「お入った」ち云よったが「御座られた」ち云よんなさった。 いろいろ話しよんなさった言葉は聞きよったばってん、自分達が使わん言葉じゃけん、どげ ん云よんなさったか忘れて仕舞うとるたい。 言葉のちがいちゃこげな話しもあるたい。 岡野が上郡の行徳さん引越しなさった頃、伯母さんの、男に、「おかべ(豆腐)とって(買っ て)来らし(こい)」ち云うて、お重ば渡しなさったげな、そりから男が裏ん方で家の壁ば、が さがさ削りょるげなもん、女が何しょんのち聞いたげなりゃ「奥様んお壁ば取ってこらしち 云いなさったけん取りょるとたい」ち云うたげな、久しうして、「こん位でよございまっしゅ か」ち云うてお重箱に壁土ばよかしこ入れて持って来たげな。昔は言葉がそれぞれ違うとる もんじゃけん、面白かこつんありよったたい。 普請方豊しゃんが、上妻ん者な、鐘と太鼓と笛で話しばするち云うて話したこつのある、「コ ンカーン、コンカンチュードンカ、チーンコン」(来い、来いと云うけれど、一度も来ない) ち云うごたる面白か言葉(大正初頃迄上妻の奥の山村で聞くことが出来たと云う)の、今でん さがしたなら、まあだどこかに残っとるかも知れんたいの。 方言ち云うたっちゃ、初手はほんにようか言葉のありよったばってん、今はもう使う人も おらんごつなって仕舞うて失うなってしもうたたい。 大正頃までは、あたしどんも、お寝みなさいち云うこつば、お静まりまっせ、おきなさい ち云うこつば、お日んなりまっせ、ち云よったが、子供の頃は鰯のこつば、おほそ(細)ち云 よったばってん、慣れん使用人にゃ段々通ぜんごつなったりで、大きう成った頃には鰯ち云 うごつなったたい。山本辺なずっと後頃迄お細じゃった。昔の京言葉げなたい。 今使よる久留米弁ちゃ、初手のおろよか久留米弁にあちらこちらの言葉ん交り合うた、が め煮んごたる言葉になってしもとるごたる。あたしも、もうすったり言葉の悪うなってしも た。初手からそげんよか言葉でんなかったばってん。 |