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    女子の名前
   
  明治時代はくさい、女は大方二字名か三字名かじゃったが、その人に対して敬称の意味で 子ば付けて呼びよったたい。そっで手紙や公式の場合には子ば付けよったもん、そっでうち のおっ母さん方にも、婦人会てん郡役所、村役場からの公式の通知の来る時は、真藤ユキヨ 子殿ち書いて来よったたい。

そりばってん、そりゃ人が敬うて呼うで呉るるときのこつで、自分が自分の名に尊称の子ば 附くるちゃおかしかもんの。そげなこつん分らん人でも無かっつろち思うばってん両郡のごー ほな旧家に生れて、また両郡のごーほな御大家の奥さんに成った人じゃったが、うちのおっ 母さんよりだい分年の多かったお人じゃった。

自分で自分の名に子ばつけて何事かん時公式の場所てん何てんで、云わっしゃるげなけん、 人ん笑よったげなたい。郡役所辺に愛国婦人会てん赤十字のこつてんでよう見ゆるげな、そ すと役所ん人達どんが面白がって、そーら×××子さんのまた来よーらすそち云うて、目引 袖引きしよったちお父っつあんの笑うて話しよんなさった。

子ばつくっと、ちょいと滑稽な名になるたい。なかなかのやり手のやかましやのばばさんじゃ つたばってん、自分のこつはなかなか分らんもんたい。

  ああた達ん、小まかときまではこの辺じゃあんまり子てんち云う名はつけよらじゃったた い。近頃は自分で子ばつくるげな、そげななこつして礼儀にはずれはせんじゃうかの、ちど んその頃の人は云よったが、だんだんのちにゃ猫も杓子も子だらけになっとったが、いまだ ん又子ち云うとの何しゃり少うなっとるごたるの、人の名もやっぱ、はやりすたりのあっと じゃろの。

  アヤが生れた時、漢字で綾ち役場に届けたりゃ、役場の係りの人がまあだ女にゃ、ひらが なか、かたかなの名しかつけや居らんばいち云うてじやったげなけん、そんなら事変った名 よりかち云うて、アヤち届け出したっげなたい。ばってん初手は、武家の女の名は公式にゃ 漢字ば使よったばってん、届けに行ったもんも、係の者もそげな習慣ば知らじゃっつろたい。

  あたしが名もそっで、三千代ち届けてあったげなけん、子供ん時田畑ばどりしこかあたしが 名に替ゆっとに三千代ち名ば書いて書類ば作ってあったっに役場の戸籍にミチヨち片仮名で ついとるげなもん、戸籍係りが勝手に片仮名でつけとったらしうして、そっで書類ば何通で ん書き換ゆっとに大事したち云うこっじやったたい。七丁ばかりあった風でそれぞれ何筆に でん小む(こむ)分れとるもんじゃけん。此、尸籍係りも初手の習慣、知らん人じゃっつろた い。


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