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    俳句の会お謡の会
   
  初手は村の庄屋どんてん何やら主だった人たちが俳句の会どんしござったげな。街の方に もいろいろの連れがあって、米府連ちもあったげな、国分は清水連ち云うともあったげな。

  お祖父っつあんも、お父っつあんも、それにかたっとんなさったげな。お祖父っつあんな 猿月、お父っ、つあんな友之ち云う俳名ば持っとんなさった。お父っつあんな手の利いとん なさったけん、みんなの俳句ば、版木に彫って奉書紙に印刷したりして、俳句仲間に配った りしよんなさった。字はあんまり上手じゃなかったばってん、そげなこつや、色々の工夫が 上手じゃったたい。

此辺なそりばってんそげなお手製の版木でどん刷りょったが、街の方は昔から、今で云うな ら同人誌ちでん云うごたるもんじゃろの、奉書んごたる立派な大判の紙に江戸絵んごたる色 刷りで、花やら何やらの絵のついとって、其上にめんめんの句ば、いーっぱい刷ったりしたっ のうちにもありょったたい。たしか小頭町か原ん古賀の辺りにそげな刷り屋のあった模様じゃん。

  お父っつあんなそげな風でよー何でん作ったりしよんなさったが、一辺な、失敗したち大 笑いしよんなさった。日露戦争の凱旋のとき凱旋門ば営所ん前通りに作って、松笠ば板につ けて、そっで祝凱旋ち云う字ば書いたごつ作んなさったげなりゃ、陽の当って何日かしよる うちに、松笠がこーう開いて松笠どうし押し合いして、ポローポロ押し落さるるとん出来て、 すったりになったげなたい。

  そりから村にゃ、お謡、どんする人達もありよったふうじゃん、お祖父っつあんな宝生流 じゃったげな。あたしどんが聞きゃ、ほんに上手んごたったばってん、まあだ上手から聞い たなら、どげなこつどんじゃったじゃり。ばってんあたしゃ、こーまか時夜さりお祖父っつ あんの遅そなって謡よんなさったっばやすみながら聞いて、ほんに好いとったけんあたしん、 いっか習いたかち子供ん時から思とったばってん、家があげな始末でお謡いどころの騒ぎじ ゃなし、年寄ってから、佐々の武しゃんに手ほどきして頂いて、のち又宝生流の職分の黒岩 佐智次先生におならいするごつなったたい。

久留米は、殿様が代々宝生流で、大良公(頼徳)のときゃそーに盛んで、棚門の外、今の翠香 園の西側てろちじゃったがお能の舞台が出けて、お気に入りの能楽師達が居りょったげなが、 宗家の謡いとは、どこかがちがうてろで、久留米宝生ち云よったげな。そげな風で、下々ま で宝生流じやったげなもん。

  ひところ旗崎からてろち云うて、もうよか加減年のいった人の、降ってん吹いてん夜にな っと、お祖父っつあんにお謡習い来ござったが、あんまり始めはおかしかけん、みんなこっ ちで、くすくす笑よったが、熱心ちゃ恐ろしかもんで、いっときしよったりゃ、ほーんに上 手にならっしゃったたい。

  いっかお祖父っつあんとばばさんと、明月のよる愛宕山のにきに月見に行きなさったこつ んあったげな。お祖父っつあんの、其時のこつてん何てんいろいろ書いとんなさったが、失 うなってしもたたい。何じゃり芭蕉とか、西何とか云う久留米の俳人とかが、「明星山のあた りに明月の出たとき愛宕山から見ると信州の田毎の月ちゆうとこの景色によう似とる」てろ ち云うたちゅうて見に行きなさったつげなたい。

  俳句の会には村の男ばかりじゃなしに女もかたっとる人があったふうじゃん。清水におむ っつあんち婆さんのござったもん。上妻ん方から来てござった。(国分久二郎妻、八女郡本分、 松浦家の人)藩の検見方の下役ば勤めとる家じやったげな。おむっつあんちゃそげな俳句てん 何てんに趣味もあったげなばってん、何せ面白かばばさんじゃったふうじゃん。


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