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    大演習の宿
   
  大演習(明治三十年)んあって、明治天皇の御名代に小松宮んおいでになった時じゃった。
  村に兵隊の宿ば割ってあったけん、表のお座敷ば貸すごつしとったりゃ、聯隊本部にするけ ん、まあだ広う貸してくれち云わっしゃるもんじゃけん、奥のお座敷まで貸すごつなって大 さわぎで片付けたたい。表の高皇宮のとこまで、聯隊長ば連れて来といて、あんた方ば聯隊 本部にしてくれ、ち云うて郡役所からじゃっつろ頼みにござるもんじゃけん、どんこん引き 受けんわけにゃ行かじゃったったい。

ちようど奥のお縁先に干柿作って一ぱい下げとったけん、そりばガサガサ七畳の二階さん持 ち上げたたい。何せ急いで持ち上げたもんじゃけん、重り合うたりしたけん後にカビん生え て食べられんごつなったつもあった。

  何でん彼んでん片付けたが、ちょうどその日は家ん者ば上妻ん方に演習見せにやっとった 留守じゃったもんじゃけん、お祖父っつあんと、ばばさん、あたしと女が一人じゃったりゃ、 その女がどこさんどん行ったかおらんもん、そっで仕方なかけん、あたしどん三人で大ごつ じやったたい。

あたしち云うてんまあだ子供じゃけん。そん時の女はフサちうて、おろ早やか女じゃったが、 何でん片付いたのちになってごそーごそ出て来たけん、「お前やどこにおったろ」ち云うた りゃ「裏ん小屋におりました、そげなこつでございましたのー」ち云うもん、文句云う力も なかったたい。

  そりにちょうどそんとき、米ば水車に搗きやっとっとの出け上って来とらず、どんこん搗 いた米のごーほんなかもんじゃけん、十何年か前ん米の、倉ん下の方から何俵か見つかった つばうちで食べよったけん、仕方なかもんじゃけん聯隊長さんに、こう云う訳じゃけん、今 夜一晩こらえとって下さいち云うて出したたい。色ん赤うしてパサパサしてお醤油ばし入れ たごたる色しとるもん聯隊長さん達ゃ「ほーそげん古か米は食べたこつがなか、こりゃ珍し いかもん食ぶ」るち珍しがって食べなさった。そのうち米も搗けて来たけん、白か米上げた たい。

  そん時の演習は二軒茶屋あたりであったけん、ドンドンパラパラ云うもんじゃけん、女も 男もそのいきにゃ飛び出して見に行くもんじゃけん、おかずに煮よった十六寸豆(とろくす ん)が焼きついたこつんあったたい。豆でん何でん、火に掛けたなり飛び出すもんじゃけん。 まあだ兵隊が珍らしうしてならんときで、日清戦争で兵隊熱は出とるし、ドンドン云う砲声 が近うに聞こゆるもんじゃけん、村中みんながじっとしておられんとたい。

  そののちも、そげな演習てん、日露、日独戦争の時の兵隊の出征、凱旋てんに、やっぱ兵 隊が村に泊るこつんあったたい。いつかは一番に水んよう出るか、ち云う調べのあった。う ちの井戸も高皇宮の井戸も、よか水のどんどん出るち云うたりゃ、高皇宮の境内にいくつで ん露天に、くどば作って、そこてん、うちのくどてんに大っか釜かけて炊かっしゃるもん。 お宮ん井戸と、うちん井戸と二つば使よった。

  兵隊さんどんが仕事ちゃ荒かこつが。初めうちの大っかまな板と床ばいくつか出してやっ とったが、初めはその床ん上に、まな板のせて其上で芋でん、ごぼうでん、洗うたごつ、洗 はんごつして、ゴボゴボ大きう切らっしゃるもん。汚なかてん何てん云うちゃおれんもん。 後にゃ、まな板はせからしうなって、床ん上にちかにコッーンコッン打ちかけ切りしたりで、 床は傷だらけじゃん。

  新らしか茣蓙ば何枚でん持って来て、拭きもせず、ご飯たいた釜ばその上にガボーッちあ けて、大っかおしゃもじで、その炊いた具ば混ぜらっしやった。出けたまぜご飯な、一番口 うちに持って来て、「食べて下さい」ち、やらっしゃるとじゃん。

  うちの土間に大っか俵にジャコば入れて持って来て置いてあったが、そりば兵隊さんどん が通るたび、ちょいと摘うで食べて行くもん佐賀の兵隊さんな十六寸(とろくすん)ばかり煮 て、そのなかにキビナゴどん入れて、あんまりお野菜やなかごたった。

  東てん西村てんのにきに泊っとる兵隊さん達が高皇宮の炊事場に食事ば貰い来るもん。入 れ物さげて何人前ち云うて。
  牛肉の来ると当番達が、バケツ一ぱい入れて、うちん味噌部屋に入れといて、夜さりにな って一杯やらっしゃるもん、「料理人手前すかさず」ちゃよう云うてあるち、笑よったこつじ ゃった。

  演習の済んで帰る時、うちの大釜でご飯ば炊きござるもんどんどん。今頃炊いてどうする じゃうかち思とったりゃ、炊いて仕舞うて、「こりゃどげんなっとんして下さい」ち手もつけ んで置いて行かっしゃった。仕様んなかけん、近所にふれ廻して、入れ物持って貰い来て貰 うたたい。

なにせ大まんげなこつじゃった。そののちの大演習の時(明治四十四年)恒やもう先に見に連 れられて行っとった。あたしゃうちにおったばってんドンドン云うもんじゃけん、また女た ちと飛び出して行ったたい。すぐ近かとこでドンドン音んするもんじゃけん、行ったところ が高良台んにきで遠うしてきつかった。漸うワーち突貫するとこは見えたばってん。

  恒どんと一緒になってもう帰ろうち云よったりゃ恒がうんこしたもんじゃけん、おしめ持 って行っとらじゃったけん、大ごつした。そしてしゃっち私に負われにゃんち云うもんじゃ けん、あたしが負うて来た。おなかにゃアヤが入っとるし大っかおなか抱えて大っか恒ば負 うて裏ん方から入って行ったつば、うちんなかからお母さん方の見て「その恰好は何ちう恰 好じゃろか」ち云うて笑よんなさった。

帰ったりゃまたうちに兵隊さんが泊るごつなっとって、もう来てござるもんじゃけん、また 大ごつしたたい。おなかんなかにおるときから、そげな演習見に行ったりしよったけん、胎 教のせいばしじゃろアヤがお転婆でどんこんならじゃったつは…。


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