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    格式身分
   
   今田ちゃそげんたいしたうちじゃったげなばってん、いっぺん町人になったからにゃち云 うて、格式ち云うこつのやかましうあった時代でんあっつろが、しっかりご一新後までその 格式に従うとんなさったふうたい。
  こりゃまあだ殿様時代のこつばってん、おとしさん(寺田九右衛門娘進藤重三郎妻)のう ちにおいったとき、うち位なとこでん侍ち云うこつになりゃ.正妻ち云うわけにゃいかじゃ ったげなけん、初はお世話やきち云よったげな。そりばってん子供の出来るごつなったけ ん、お祖父っつあんの草鞋がけで親類中ば廻って、おとしば上通(かみどおり)になします ち云うてさるきなさったげな。そして始めて奥さんち云うこつになったげな。ご一新後まで も、今田からおいったとき、お玄関からは決してお入らんで、勝手口からお入るげなもん。

どげんお玄関から上って頂くごつ申上げたっちゃ、遠慮して勝手口からばっかりじゃったげ な。昔ん人はご一新になってん.をかなか新しか習慣にゃ慣れきんなさらじやつたじゃろ。 どげな大商人でん.侍の家でありゃ、貧乏のピイピイのとこにでん、正式にゃお玄関からの 出入は殿様時代は出けじゃったげなたい。こげなふうな昔ながらのしきたりの最後迄ちゃん と残っとったっはお城内(しろうち篠山町)の山本じゃっつろ。

  常寛(じょうかん)さんな山本伝之進さんのお子さんで、善次郎さんの弟ごたい。善次郎 さんの山本ば継ぎなさるけん.常寛さんな所謂”お部屋住み”の身分で昔ゃ”お部屋住み” ゃ正式に奥さんば持っこつは許されじゃったげなけん、お世話やき、ち云うて、いわば内緒 の奥さんたい。大方は身分ちがいの人たちば呼びよったげな。

そして生れた子供は表向きの帳面にゃ兄さんなり、近親者なりで。正式に奥さんば持った人 の子供につけよったげな。常寛さんな、八女の尾島のしゃんとした家からじゃったが、おせ つさんち云いなさるお方ば、お世詰やきとして呼びなさったったい。そっで親子の呼び方も、 おせつさんな、ご自分のお子さん方にでん、祐しゃま、つたしゃま、ち様づけで呼びなさるばっ てん、祐しゃんてんおつたしゃん方はご自分のおっ母さんば、お乳母(んば)ち云うふうな 呼げ方じゃった。

親類の者たちも奥様扱いの呼び方はせんで“おせつさん”ち云うふうじゃったたい。そりばっ てん呼方はそげんでん、もう明治になっとるもん、待遇は奥様同様やったたい。出入りゃ、 男、女、達ゃ、おせつ様ち云う呼び方でそこはちゃんとけじめのついとった。

  金婚式かの時、そりじゃあんまり時代おくれ過ぎるけん、どうでん当り前の呼び方に変え まっしゅうっち云うこつになったところが、おせつさんの.いままでの呼げ方が私やよござ いますけん、このまましといておすけれらち仰しゃるげなもん、そっでとうとうおせつさん な一生そっで通しをさった。そっで、お子さんの祐しゃん方は伯父(おっ)つあんの善次郎 さんのお子さんのごつ戸籍はなっとんなさるたい。いつかお孫さんのご縁談のありょった頃 じゃったが、「城内の山本の戸籍や妙なふう、一体どうなっとるもんじゃろ」ち云うた人のあ ったけん、昔ゃこげな訳ち話したこっどんがあった。

  初手は、ほんに戸籍もよか加減なこつじゃったふうで、佐々作兵衛さんの末の男の子に、 岡野半兵衛さんの子次郎助さんばつけてあったげな。治さんと、金平さんの弟ごになっとん なさったったい。そっで金平さんの五稜郭で訂死しなさったけん、跡目相続のご沙汰の次郎 助さんに下ったっげな。佐々作兵衛さんの奥さんのお茂代さんな、岡野半兵衛さんとご兄妹 たい。そっで次郎助さんな叔母さんの子供分になっとんなさったたい。

次郎助さんの奥さんに治さんのお子さんの初野さんのおいる時ゃ、戸籍面じゃ次郎助さんな 叔父(おっ)つあんになんなさるもんじゃけん、そのままじゃ婚姻届がでけんけん、そっで、 親類の籍に初野さんば入れて婚姻届ばしなさったち云うこつば聞いたごたったあたしがまあだ、 生れちやおらん時たい。


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