SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
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今田家のことども | ||
今田は丹波から有馬侯がお国替えになるとき殿様について久留米においったげな。元は武 士じゃったげなが殿様にお願いして町人になんなさったげなたい。 いろいろ功労のあったげなけん殿様の「お前の望みの物を、褒美につかわす何なりと申し て見よ」ち仰しゃつたげなけん「塩鰯の印税だけを頂きとうございます」ち申し上げなさっ たげな。そりから殿様の、わざとそりば塩と鰯ちおききになったもんゃり、塩と鰯の領内販 売税ば、ご一新頃迄、毎年お下げ渡しになりょったけん、そっだけでん大したこつじゃった げな。 士禄二千石に相当しょったげな(士禄二千石は実収二千俵ー三斗三升入玄米が一俵)もとは今 の市役所んとこが今田じゃったげなばってん、あすこに御使者屋敷敷の建つごつなって、苧 扱川四丁目(本町四丁目)に屋敷の換地ば頂きなさったけん.代々あすこにおんなさったげ な。丹波からお供しておいったっじゃけん.屋号ば丹波屋ちつけなさったつげな。こつちさ んおいった人の息子さんな、二代目の殿様(忠頼)が船の中でお小姓に切られなさったとき 切腹して殉死しなさったけん、町人になったっちゃ、やっば侍の出たいちみんなが云うたげ なたい。 そっで二代目の殿様の御年忌てん何てんの時や、代々今田は特別のお取り扱いばうけよんな さったげな。初手から代々石原山本太田へんともご縁があったたい。 山本から今田にお客においるげにゃ、奥の方と裏の方の間に.朱塗りの欄干の付いた反り 橋のあったとこば、お引裾でしづしづと出ておいるげなもん、ご亨主側が、そっでこっちも 相当な装(なり)しておいっとってん.ほんに気の毒なきのするけん、こっちもお引裾でい かじゃこてち云うこつじゃったげな。 苧扱川の三丁目と四丁目で向え同志のごたる近かとこで身近か親類の間がらでん、一応相 当なとこ辺のつき合ひは昔しゃ今とちごてなかなか格式ばっとったったい。 |