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    半井家
   
  半井ちゃ、もとは宮中に仕えとって、代々医博士てん典薬頭で来たとこじゃったがのち徳川 幕府の出けた時から幕府に仕えて、代々典薬の頭じゃった。

  天和の頃とかに、その本家じゃり、分家の方じゃり、(※1)庵さんち言いなさるお方の弟の瑞倫 (常貞)さんが京都さん分れて行っとんなさっとば.慈源院(頼元)様のとき、ご家老さんの有 馬豊前さんの推挙で、久留米藩の御典医になって来とんなさったつげな。そりから三代目の瑞竹 さんの、弟子が無礼なこつしたち、手打ちにしなさったげな。

そのこつで藩からは何もお咎めはなかっなげなばってん、色々世間の取沙汰のあって、瑞竹さん な、黙って家ば飛出して仕舞いなさったげな。お父っつぁんの瑞竹さんなそっで謹慎しとんなさ るうちに、のうなんなさったもんじゃけん、ご典医のお役じゃなかごつなって仕舞いなさったげな。

  瑞竹さんな肥前の平戸さん行って開業しとんなさったげなばってん、何せ船で島々ば診てさる かにゃんし何彼ち不便じゃけんち長崎さん来とんなさったげなが、おっ母さんの瑞竹に会いたか ち云いなさるけん、柳川迄帰って来なさったげな、そして、叔父っつぁんの法泉寺の海天和尚さ んの帰国願いばしていただくごつ江戸の本家に頼みなさったけん、江戸の本家から藩の御用部屋 さん、飛び出したつの帰国ば許してもらうごつ、申入れしなさったけん、すぐお許の出て、瑞竹 さんな久留米さん帰って来なさったげな。

  そして弟の杏伯さんと、小河兵右衛門さんの厄介(やっけ)になっとんなさったげな。そして 自分な山本郡の吉木に縁故のあって、吉木に移って開業しとんなさったげな、吉木の八幡さんの 神主さんの合原てん、今村てん云うとこへんと縁の出けたふうで、お墓も吉木の杉谷ち云うとこ にあるげな。杏伯さんな、国分の村で開業しなさったげな。

  小河兵右衛門さんな杏伯さんの奥さんの兄さんじゃった。杏伯さんの長男が元仰さん、二男が真 藤に養子になんなさった佐太夫さんたい。伯父っつぁんの小河さんと真藤が同じ馬廻役じゃったけ ん、二代佐太夫さんの養子縁組のご縁の出けたつじゃろたい。二代佐太夫さんな跡目のご沙汰の無 かったもんじゃけん、又小河の厄介になっとんなさったげな。

※1 現在漢字がなく、原本には馬偏に戸という字が使われておりました。


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