SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語
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祖母の死 | ||
お祖父っつあんのおかくれた後、日露戦争後に、ばばさんの胃がんでおかくれた。(明治三十九年)。 ちーっと中風のごたるふうで、お静まっとったりゃ、いつか真黒か何じゃりびろうどのごたる 物ば、ごーほん吐きなさった。お医者さんの、こりゃガンじゃけん、もう仕様んなか、何でん好 いとんなさるもんどん上げなさい、ちじゃったけん、仰しゃるごつしたたい。 何でん食べ物ば、おっ母さんの上げなさる時ゃ、大体おっ母さんな何でんほんに用心深かりょっ たけん、少し上り過ぎなさるごたっ時ゃ、もう上らんが良かろち、止めよんなさったが、あたし が上ぐっ時ゃ、もう一つ上ぎゅうかち云うと、もう良かち仰しゃりょったばってん、食べさせ方 は、おっ母さんよりか私が良かげなたい。もうひとつ上ぎゅうかち云うとがお気に入りょったげ なたい。 一体に気の強うして角のあるお方じゃったばってん、病つきなさってからは、ほんにお仏さん のごつなんなさった。おっ母さんにでん、あたしにでん、ほんに良かった。高血圧てんのあった けんじゃろたい、いよいよ仕舞えなさるときゃ、「ほーらお仏さん方の雲に乗ってお迎いおいった。 お前達も早よ拝うでくれっさい」ち、抑しゃりょった。ちょうど七畳のお部屋にお静まっ(寝) とったが、「中庭ん方からお仏さんのおいりょるけん、早よ障子ば明けてくれっさい」てん仰しゃ りょった。そして何事(ねーごつ)んなし仕舞えなさった。七十才じゃったごたる。 |