SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語


    祖父の死
   
  お祖父っつぁんな老衰で七十三オでおかくれた。やっぱ、ちゃーんと座っとんなさるばかりの 生活で、早よ老け込みなさったっじゃろお医者さんの「手当のよかけんでばっかり、あげんもて とんなさったい、そっぢゃなかならまあだ早よ仕舞えとんなさる」ち、出入りの誰かに話しなさったげな。

  お祖父っつぁんの晩年な、馬匹会社の尻の来たり、関係のある銀行、会社ん、つぎつぎ倒れた り悪うなったりで、左前になり始めたばっでん、お祖父っつぁんの自分で家ば切り盛りしよんな さったころが、全盛じゃっつろち人ん云よった。

  いつか干栄寺の江越活道和尚さんの「過去帳見よると、たいがいの家が全盛は五十年のごたる。 色々の上げ物の具合でそりが良うわかる」ちお話しなさった。前、後に幾分なあろばってん。今 は世間の動きも早よなったけん、どげんじゃり和尚さんのお話しょんなさったごついくもんじゃり。

  お祖父っつぁんのおかくれた時(明治三十五年七月)は夏の盛りじゃった。その上に、北野に コレラのどんどん流行(はや)よる時じゃった。へこかきのお祝の塩鯛からコレラのはやり出し たてろち云うこつじゃったごたる。昨日は何人、今日は何人死んだち大ごつしよったげな。家じゅ うかかって、死人片付けも出けんとこのあるち云うごたるふうで……。そっでほーんにえすかっ たたい。いつ飛火するじゃかち思うて……。

  ご葬式の食べ物で、うつったてん何てん云うこつになっちゃ、どんこんならんし、食べ物ばあ んまり厳重に取締りゃ、物惜しみばしするごつなるもんじゃけん。こりゃいっちょ、役場からなっ とん来て見かじめして貰わじゃこてち云うて、役場ん掛の人に来て貰ろたたい。役場ん人は白か 服どん着て来らっしゃった。

二、三人竹笹どんバサーバサー云わせて、蠅どん追いござったが、あんまり加勢人の多かもんじゃ けん、こりゃどーうか、こーりゃどうか、ちばっかり呆れてござるもん。ほんにどうしてあげん 加勢人の多かったもんじゃり、出入りうちゃ、夫婦、親子、兄弟ち、家じゅうで来とるもん。

組内の者、村内の者、知合、誰じゃり知らん人達まで、もう男も女もぐじぐじして、そりがみん な暑かもんじゃけん、男だんまる裸の褌一つ、女も肩肌抜きてん、腰巻に前かけ一枚ち云うごた る風で、誰が誰やら、うちん男女はどこにどんおるじゃり分りゃせんもん。そっでん誰か指図ば しよったじゃろたい、がやがやながら何時じゃり仕事は出けて行きょったが。

後からの人の話じゃ「今日は真藤ん葬式じゃけん,飲うでくう」ち云うて、人の来よったつが大 分ありょったちじゃん。昔ゃそげなふうで、村ん旦那んどん方のご祝儀てんお葬式てんな、村の よか飲み食いの楽しみ場じゃったふうたい。

会葬者ちうて来た人達にゃ、みんなお見立てのお膳ば据ゆるし、加勢人ち来た者てんそれ従いて 来た子供達まで、みんなご飯てんお酒ば出しょったし、そげなふうじゃったけん、始め米ば六俵 搗いといたならよかろち云うて、水車に遣っとったりゃまーだご葬式なりもせん先、もう米の失 うなりょりますばいち云うて来たもんじゃけん、そりゃ大ごつで、おろたえてまた何俵か搗きやったたい。

  油揚だん、たーくさん注文したり、貰ろうたりしとったふうで、山んごつ来とったばってん、 不消化物はあんまり良うなかろ、もう使わんが良かろち、どこさんか片付けとったげなりゃ、無 かげなもん。どうしたじゃろかち云よったりゃ、煮もせんで、小屋の方で,加勢人達のお醤油ど んかけて食べてしもたげなたい。

そげなこつなら煮といた方が良かっつろにち、あとからどん云うたこつじゃったたい。総体ほか の物よりか、油揚げどん煮たつの方が良かっつろばってん、その頃はなーにん判らんけん、何で ん彼んでん、コレラの源のごつ思われて、びくびくじゃったたい。さいわい病人もでらんでよかった。


前のお話へ  戻る      次へ  次のお話へ