SNK >> デジタルアーカイブ >> 初手物語


    村長就任
   
  そげなふうで損ばっかりで、ごろごろ失うなりょっとに、こんだ、又ぞろ、お父っつぁんの 村長に祭り上げられなさったけん(明治三十七年)親類内からでん出入内からでん、村長は損 長たい、はよ家の整理どんして、立直しどん始めなさりゃよかもんにち、みんなお目出度うて ん何てん云うもんな一人ん居らじゃったりゃ、上妻の吉常の畳屋の儀衛門だけが、旦那ん様ん、 村長さんになんなさいまして、お目出度うございましたち、赤おこわどん揚げてお祝いに来た たい。

  そのお父っつぁんの云いなさるこつが面白かもん。「おりゃ半額かつしかなか村長げなたい」 ち。始め村長になって呉れち云うこつじゃったけん、一人でん反対のあんならいや、ならんち 云いなさったげなりゃ、満場一致で村長になすち云うてなしたげな。そして、もう大分のうなっ て来よるけん、名誉村長でただち云うわけにもいくめえばってん、まあだ持っとるけん半額で よかろち、満場一致で半額村長に決めたげなたい。

何せがたぴしになっとっとに、村長、郡会議員、参事会員、その他政党(国民党)の方の何じゃ 彼じゃになんなさるもんじゃけん、失うなって行くともよか調子たい。   お父っつぁんの村長の頃の村役場は、野中の、のちの師団長官舎になって、終戦後に市長公 舎になっとったとこたい。元家中の板垣の下屋敷じゃったとこげな。家は昔んなりで古るうし て、大分ぼれとった。帥団の出来る前に、足形堤(どーめき堤)の西側に、二階建ての役場ん 出けて、三井郡一のよか役場ち云うて、お父っつぁんも村のもんも威張りょった。

小学枚が三っ寄って、役場の横に立ったつもその頃じゃった。その頃、学校てん道てんの、ぞ ろぞろ出けて、お父っつぁんな忙しかったたい。


前のお話へ  戻る      次へ  次のお話へ