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    養婿ばなし
   
  ばばさんのおんなさった頃から、早よ養婿せにゃち、やいやい云よんなさった。ばってん何 せうちゃ、ごろごろ失うなって行きょるし、あたしゃごきりょうのよすぎるもんじゃけ ん、なかなか思わしうなかもん。そりけん親類うちからは、元ん家中内のしゃんとした者ば、 学校にどん出して早よから用意しとんなさらんけんち、お父っつぁん達の悪う云われよんなさった。

ばばさんなまた自分の身内の者ば思よんなさったふうで、話の出とったばってん、出入の誰か がどこてろの何とかち云う易学の大家にお伺いに行ったげなりゃ、大船に乗った積りで大海に 出て沈没する相、てろち云わっしやったち云うこつじゃったげな。そしてほんなこつ、その人 はその後病気の出て死んなさったげな。

  すったもんだで、なかなか決まらんうち三十九年にゃ、ばばさんのおかくれた。そしてその のち福田忠太郎先生ん持って来なさった、青木栄ち云う人の話が漸う話し成り出したったい。 青木栄ち云う人なら山本の茂しゃんも中学校の友達たい。茂しゃんのご祝儀のとき、よばれて 来とんなさったけん知っとんなさろもん、コマ回しした人たいち、山本からのお話で思い出し たたい。

あんまり下手くそにコマ廻しばしてじゃったけん、あたしだん陰さん行ってくすくす笑うたつ は覚えとるばってん、そげん良うと、顔ば見ちゃおらんもん。とにかく初手は中学校ちゃ六十点 以下取ると落第しょったげなけん、五年間落第せんで卒業するとは、一学年に、五、六人しか居 らじゃったげなつに、まあ落第もせんで卒業してあるげな。

日露戦争に行くまぢゃ、御井高等小学ん先生で、なかなかやかましやの、そりゃもうおごらっ しゃるこつが、おごらっしゃるこつが!誰に聞いたっちゃ、おごられたてん、叩かれたてん云 うもんばっかりじゃったばってん、担任の生徒ん成績や良うなりょったてんち云う話じゃった。

その頃の福田先生は同僚先輩じゃったったい。今は戦争から帰って帥団司令部の建築関係のと こに出てござるち云うこつじゃった。身元調べどんがありょったが、まあまあよかろ、賛沢云 うたっちゃ来てはなしちゅうこつで決まったたい。

  四十一年お正月に式するこつにして、その条件がおかしかもん、酒は呑む、自分の月給は家にゃ 入れんでんよかなら来るち云うこつじゃったたい。そして、そりが、ほんなこつそげんなった たい。うちも財産の失うなったちゃ云うたっちゃ、まあだ、その頃までは、婿どんの月給ば当て にせにゃならんごつはなかったけん、それにお父っつぁんもまあだ長生きしなさる積りじゃっ たもんじゃけん、条件ば呑うで養婿に貰うこつにしたたい。

うち下宿しとんなさった末松茂冶さん(後陸軍中将、小倉市長)な中学校時代の同級生じゃっ たけん、あたしどんのご祝儀にゃぜひ来るけんち云うとんなさったけん。お知らせしたりゃ遠 かとこから約束どおり来てやんなさったたい。


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