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    父の葬式
   
  何ゃ彼ゃの都合でお葬式ゃ七日ばっかり後になったばってん、お棺なかめで蓋の口のとこは、 チャンで詰めてしもたけん、匂いてん何てんな、何にんせじゃったたい。会葬者もそうに多 かった。そんころ村の青年達ん、楽隊作って練習のはづみよったけん、神代基臣さんが大将 でしござったたい。

送葬曲で野辺送りばさせて貰いたかち云うこつじゃったばってん、ご厚意はありがたかばっ てんそっぢゃ、あんまり派手になリ過ぎろ、ち云うとこで断わったたい。そののち基臣さん のお父っつぁんの寅二さんの失うなって、そのお葬式の時ゃその楽隊で野辺送りんあったけ ん、営所ん前道ば、こ一営門の方さん葬列ば大廻りして、北嶋ん角のとこから八軒屋さん行 く道ば下って、花園のお墓さん行かっしゃったたい。

  うちも何せお墓所は三丁足らずのとこじゃけん、学校の生徒まで野辺たつごつなっとろち云 うこつで、先頭がお墓に着いたっちゃ、後はまーだうち溜っとるじゃろけんち、村の人達の、 四十八の北側さん出て、高良川の橋渡って.天神山ん方から行くごつしゆうち云うこつにな さっしゃったけん、ずぅっと大廻りじゃったたい。

加勢人なお祖父っつぁんの時のごたる多人数じゃなかったが大分多かった。そりばってん、 会葬者は、郡の方、村の方ちほんに多うして、お祖父っつぁんの時より大分多かったたい。

  お父っつぁんの村長になんなさった時や、そげなこつしなさってち、皆で悪う云よったばっ てん、失うなして仕舞いなさったこっについちゃ、いっちょん悪うは云わんで、早死しな さったつが惜しかった、今迄居んなさったなら良かったっにち後まで人のほんに云よったたい。 何じゃり人の気ば引きつくるとこんあったじゃろたい。


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