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    病人続出、母の死
   
  大正六年にゃ、あたしが流産して年末に大ごつしたたい。一ぺんな、脈でん何でん止まったげな が、また息吹き返したげなたい。そりまで子供ん時ゃ、ほーんに弱かったつが、娘に成ってのち、 まあ当り前に強うなっとったつの、その流産からまた弱うなって、恩田さんに長ごう入院しとっ た。腎臓も一時ゃ悪かったりしての。

  そうこうする内に、ばばしゃまん、子宮癌になんなさったたい。大正八年に早よわかってほんな 初期じゃったげなが、何せあの頃は、今んごつ医術は進んじゃ居らんもんじゃけん、そげん早期 でん手術して助かる例は十人のうち、三、四人ち云うこつじゃった。そりばってん、手術せんで おきゃ、だんだん悪うなってやっぱ死ぬより外なしで、本人も苦しうで死なにゃならんち云うこ つで、どうしたもんかちほんに心配したたい。

ばばしゃまは手術して貰うち自分な決めて仕舞いなさったばってん、親類うちも、すゝめもされ ん、止めもされん、ちみんな心配しなさるばってん、本人が手術するち進んどんなさんなら、一 か八かしてみるともよかろ、ほんにあん時手術しといたならち思うごだるこつんあってん困るし ち思よった。

そりに何も彼もの費用で、その頃じゃ大金じゃった八百円ものお金も入るがち、心配しょったりゃ、 武しゃんから手術費に使いなさいち、其のお金ば頂いたけんほんに有難かったたい。

  お父っちゃまのばばしゃまに、墨で一の字書かせて、また中山石庭さんに持って行って見て頂き なさったりゃ、こりゃ手術したなら直ぐ死なにゃんばいち云いなさったち云うて帰って来なさっ た。そりばってん、ばばしゃまは、早よ手術してさっぱりしたからしかし、まあ仕方がなか、成 るごつ成らにゃち思うたたい。

九大の医学部の産婆養成所ばちょうど卒業して、あーしゃん(橋本あさみ)の実習しよんなさっ た時じゃったけん、特に願うて手術室に姪じゃけんち入れて頂いたたい。「あーしゃん、頼むば いの」ち云うて手術台に上がんなさったげな。榊博士か、向井博士かじゃったが手術しなさった。

手術は立派に滞りなしに済んだげな。その日のうち、ちょいと意識は回復したばってん、麻酔薬 のため、内臓の動かんごつなったち云うこつで、その日の晩の内とうとう悪かったたい。大正八 年十月二十三日じゃった。

  福岡の九大病院じっゃたけん、近所ん人てん出入じゃった人達の迎えに来て貰うて、遺体は貨車 借って乗せて来たたい。その頃まあだ霊柩車てん何てん無かもんじけゃん。年は五十五じやった。 数え年たい。慶應元年生れじったゃけん。


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