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    貧乏ぐらし
   
  恒が中学校に入った後がいよいようちもきつうなって来たけん、恒は新聞配達するち云い出し た。いまじゃ別に珍らしか事でんなかばってん、其頃は、よくせき困った家ん子でなからにゃ、 そげなこつはしよらじゃったたい。毎日新聞じゃった。近所の者も坊っちゃんの新聞配達ま でしなさらにゃんちのーち云うて、みんな同情して、福岡日日新聞取りよったとこでん、さっ さとやめて、毎日の方ば取って貰うもんじゃけん、どんどん読者の国分の方は拡がったたい。

福日の販売店から文句云わるるくらい多うなったけん、毎日の方も喜こうでじゃったが、集 金もその頃は配達人がしよったけん、そりば手もとの足らんいきにゃお父っちゃまの当てに して使い込みになって、せつかく子供がはづう(弾)どっとば、親が打こわしんごたるこつ して仕舞うたたい。恒の配達もそっで長うなし止めて仕舞うたたい。

  何じゃ彼んじゃ生活は苦しうなるばっかりじゃった。売らるゝもんな片っ端から売って行く し、お雛さんてん御所人形てんな、予供の物ち云うこつで、差し押えも免かれとったがそげ んとも売り払うた。

  江戸絵の武者人形の絵、国芳てんその一統のっはまあだ売れんで残っとったが武者絵も売るゝ ごっなったてろでだんだん売れて失うなるし、風呂敷に至る迄売るるもんな売つて行ったたい。

  おキンばばさんが、ほんに奥様ん可愛想にち云うて、何じゃ彼じゃ、あっち、こっち行って、 無理売りして幾らづゝかお金作って来て呉れよったし、質屋通いも大方、おキンばばさんが してくれたたい。おキンちや、正直なばばさんじゃったが、正直すぎて人から騙されたりで、 子供運の悪うして、一生苦労じまいじゃったたい。

自分の苦労するけん、あたしの苦労もよう判るち云うて、なを心から世話してくれたたい。 生きっとる間に恩返ししてやる事ん出けじゃったけん、のちお経なっとん上げたならち思う とるとこに、永福寺の阿光子さんの来なさったけん、お経料どんおことづけしたりゃ、よか よか、あたしがよーとお経上げといてやるばいち云いなさったこつどんがあったたい。おキ ンばばさんの頼み寺は永福寺じゃったもん・・・。

ほんにくさい、あの頃無理買うてくれち云われて、そげん要りもせんとに買わされた、もと の出入りのとこは、考えて見りゃ迷惑な事じゃっつろち今だん思うたい。

  そげなふうで今日の生活にも困っとる話ば山本に誰かがお話ししたげなたい。そりから茂しゃ んのおいって、恒ば引取って中学校には出して上ぎゅうち云うて、引取って頂いて、恒は苧 扱川の山本にお世話になって、お蔭で中学校に出よったたい。とうとう息子ん世話まで、人 のお世話にならにゃんごつなってしもうたたい。

  アヤ、ヨシャ、女学校に入るゝともどうじゃりち思うたばってん、せめて中等教育は受けさ せたかけん入れたたい。アヤは小学校四年の時腰折った形でぼさ一っとしたふうじゃったりゃ、 六年生の時、扁桃腺炎したつばこじらかして、ほーんに熱出して快うなったりゃ、首でん何 でん横ぐちになったごたるふうで、何の病気じゃろかち小川先生に聞くばってん、扁桃腺炎 たいちどん云うて、はっきりしたこつぁ云いなさらじゃったたい。そりから余計ぽや一っと したふうじゃったたい。

  六年から女学校は出来損のうて、久留米の高等小学に入るち云うけん、国分は市外じゃった けん、青木にお世話になって津福に居るこつにして、久留米ん高等小学に行き始めたが、よ そぎらいの、なんの長う居ろの、すぐー帰って来てうちから行きよったたい。ばってん、お 父っちゃまとはすぐ正面衝突ばするもんじゃけん、どんこんならじゃった。お父っちゃまは、 自分の思う通りにアヤば動かそでちしなさる、アヤはまたアヤで、誰がどげん云おうと自分 の思うたこつは、一歩でん譲らんとじゃけん。

アヤが女学校に入った春、佐々ん武しゃんの、「そげん絵ば好いとんなら、いっちょ坂本ん 繁ちゃん方に連れて行この」ち云うて、坂本先生ん方に連れて行って頂いて、坂本先生にお 習いするごつなったたい。


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