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    私のしつけ
   
  あたしゃそげなふうで弱うなってどんこんならじゃったばってん、子供三人な元気で特別どう ち云うひどか病気もせんで、助かったたい。うちゃ初手から子供は生まるゝこつは生るるばっ てん、育ちの悪うして、大人に成っとは昔から、二人どんじゃった。あんまり食べ物にも、な まなかの注意ばし過ぎって、何はいかん、彼にゃいかん、生物てんな、もつての外ち云うふう じゃった。食べ物も欲しかち思うたっちゃ、柿でん十分食べよらじゃった。

  行儀の点でも、どうしちゃいかん、こうしちゃいかんで押えつけられとったたい。そっで、あ たしゃ自分の子供にゃ思うごつさせてやりたかち思うたけん、躾もせんし、果物も自分達の好 き勝手にちぎって食べさせよったけん、そりが良かったじゃろ、お腹一ばいのごつ柿でん、枇 把でん食ぶるとに、いっちょーんお腹こわした事もなかったたい。

行儀の方も放ったらかしなりで、ああた達がもう大分大きうなったっちゃ、人ん見えてんお辞 儀ひとつせんで、突立っとるけん、ばばしゃまの、いくらなんでん、ちっと躾せんとおかしか ばいち云なさるけん、あとで躾け始めたばってん、もう手遅れで手にゃ負えんごつなっとったたい。

  小学校には入ったりゃ、おかげで出来っとは出来るばってん、いっちょん勉強はせんで、恒で んアヤでん、わるかこつが悪かこつが、恒ゃ生傷ん絶ゆるこつはなかもん。どこか白か包帯て ん、絆創膏のついちゃおらん時ゃなかったたい。ほんに勉強もせんでどげんするもんじゃかち、 恒の受持ちの先生にお話したりゃ、なんの其内自分でするごつなるち云よんなさったりゃ、小 学の五年になったりゃ、やっぱ、ころっと変って自分で勉強するごつなったたい。アヤはアヤ で、悪かこつは、男の子同様ばってん、また泣虫の泣虫の……。

七ッ学校じゃったけんじゃり、学校に行く時は毎朝、帯の締め方ん、ゆるか、かたかで一ぐぜ りして、しまえにゃ毎日のごつ泣いて行きょったけん、ばばしゃまのよう送って行ったりしよ んなさったが、学校に着いた途端、元気一っぱいの模範生げなもん、どうしてあげん泣きょっ たもんじゃり。

ばってん四年の時、自分で分解して放り出しとった枕時計の歯車の軸ば、右足にふみぬいて、 そりから、ゆかぜ(ばいきん〉ん入って、夏休みうちじゃったけん、学校は、1ヶ月どんしか 休まじゃったばってん、ころっと変って、そりからは、ぼさーっとしたふうになって、算術て ん何てん積み上げて行かにゃならんもんが、パッタリになったたい。

元から勉強ちゃいっちょーんせんとじゃったけん。一ぺんにパーッとようならにゃん式のお父っ ちゃまの主義のしみこうどったふうで、コッコッ勉強とは正反対じゃったもん、するこつ云う こつなんでんが。そりがくさい、どうしたこつでじゃったじゃり、二十六、七にもなって、 くるっとひっくり返ってしもたたい。お父っちゃまの影響うけて、こげん馬鹿らしかこつぁな かったてん云うて。本性はやっぱコッコッ式じゃったふうで・・・。

  ヨシはそげん良うもなし、悪うもなし、こりゃ当り前の女の子じゃったけん、アヤがごつ、困 らされたりはせず世話は焼けじゃったたい。

  恒は子供ん時からよう一人であっちこっち行きょった。小まか時ばばしゃま育ちで、ばばしゃ まがほんに用心深かったけん、そのせいでばしか、一体に用心しよったけん心配なしによそに やりょった。

  小学校ん四年のころ、一人で古塚(星野村)にやった。行きは八女の方から行って、帰りゃ高 取越して浮羽郡さん降って、徳童の倉富さん行くごつしとった。恒が出て行った夜、いとしゃ んな「よーベはほんに坊っちゃんのどうどんしよんなさるじゃり、山道で迷うてだん居んなさ らんじゃろかち思うて、あたくしゃ、とうとう眠れまっせじゃったばい」ち云うこつじゃった。 あたしが方はかえって、行き着いとるもんち思うて、どーんなかったたい。

  その年ゃまた海水浴に行かにゃんち、夏休みになってどんどんぐぜりょったとこに、ちょうど 中山石庭さんの大学に行きよんなさる坊っちゃん連れて,お墓参りの帰りち云うて寄んなさっ た。海水浴ならうちに来なさいち、親子してすゝめなさったもんじゃけん、行く行くち云い出 した。

ちょうどお父っちゃまは、何時もんごたる用件で東京に上っとんなさったけん、やってようご ざいまっしゅうかち、聞いて上げたりゃ、よかたいち返事やんなさったけん、大喜びで中山さ んに行ったたい。福岡に着いて、お土産ば何か買うて持って行きなさいち、お金渡しとったけ ん、バナナどん買うて行ったてろち云うこつじゃったたい。

帰りにゃアヤとヨシにセルロイドの青と桃色ん筆入れどんお土産に買うて来た。その頃この辺 じゃセルロイドの文具は、まぁだ珍らしか頃じゃった。そげなふうでいつでん一人ざるきしよっ たけん、国分先生ち男子校の先生ん居んなさったつの「ようお前ゃ、一人で高ざるきばかりす るね、ご褒美にやろ」ち云うて、どこからかの帰リに逢うて、お菓子どん頂いて来たこつどん があったたい。

  六年の時ゃ試験組ち云うて、中学校、女学校に行く者ばっかりで、一組出けて勉強しょったが、 夜は夜で福田清蔵先生ん方に近所の子供達と夜学に通よった。その頃は親達も入学試験勉強に 一所懸命じゃったもん。今もじゃろばってん。

  卒業する時はよか成績じゃったけんち、三井郡の教育会からご褒美頂いたたい。お父っちゃま は、かねては子供ん勉強んこつてん知らん顔で逃げとんなさるばってん、そげんときだけは、 俺がつんのうて行くち、自慢でついて行きなさるもん、ほんにほんに、ち思よった。


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